はじめに

razeさんへ。そして長ったらしいこの文章を読む方へ。
まず、これは私のほとんどの論拠に共通することですが、わざと一つの話の中で概念を「矛盾」させています。この世には数多くの価値観があって、それらは対立しながらも全て「ある意味で正しい」のです。矛盾しない概念なんてほとんど無いんです。それを求めるなら、私はもっと高校数学を楽しく解けたはず(笑)。それらの対立の中で、「如何にバランスを取るか」が大事なコト。一つの価値観だけで肯定してみても意味があるとは思えず、対立する価値観は積極的に見つけ出してそれをも考慮すべきではないかと思うのです。

①日本国憲法と天皇制について

2/12の日記のタイトルは、「皇室民営化による政皇分離論」。繰り返しますけど、象徴天皇の否定じゃないつもりなんですよ…。象徴と、生活費負担は別に関係ないのでは…?
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これは現行法では無理で、本気でやるとすれば憲法改正は不可欠でしょう。先の私の意見にネックになるのは、むしろ第8条(これさえなければ、法解釈で対処可能かもしれません)。その憲法改正の前段の話です。今在るからって、改正議論を封じ込めるワケにいかんでしょう。私は天皇家への支出を理由に税金の支払を拒否しているわけでもないですし。
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法律って、大事ですけど、同時に「絶対」ではありません。「絶対」となった瞬間に価値が無くなる難儀な運命を持つモノだと思います。
これは、私が法学部で学んだ最も大切なことです。法学では、「法治主義」は必ずしも褒め言葉じゃないんです。それは思考停止を意味しますから。
法学部の授業では、その文章を国語的に解釈するなんてことは全くしません。要は、最も大切なモノは何かを考えて、それを守る為に、自分の考えにとって都合のイイように条文を読んでゆくのです。それがどうしても無理なら改正を要求するのですけどね。
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「合法的」という意味は、その法律の中でのみ働く言葉です。
奴隷制も太平洋戦争もホロコーストも拉致も、全て法治国家が行なったことです。これらは全てその当時の国にとっては合法的ですが、もっと大きな観点から見れば反モラルと言える…言うべきなんじゃないかなあ、と思います。
そして、その「大きな観点」は、絶対的なモノじゃないんですよ。絶対化した瞬間に、それは、ただ一つ上のカテゴリーの「中」でしか働かなくなるんじゃないでしょうか。

②「平等」

日本国憲法第14条1
すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

日本人がこんなことを言えるようになったのは、たった60年前のことなんですよ。その前の2540年って、そんなに大事でしょうか?その前の2540年の価値観が、この60年に通じるんでしょうか?あと数千年、その価値観を続けるべきなんでしょうか?
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これは「憲法だから」という意味ではなく、私は、この平等概念は非常に大事で大切だと思います。「法の下」の解釈の有意性はちょっと気になりますが。
私は、「全ての人が、努力しただけ幸せになれる世界」こそが理想だと思います。先に、価値観なんて数多くあると書きましたけど、これは私の中で最も大切な概念だと言ってよいのかなあ、と思います。だからこそ、人は、平等でなければならないと思います。
どれだけ権利が謳われようとも、それが平等に与えられなければ意味が無い。どれだけ豊かであろうとも、富が意味もなく差別的に与えられたら、意味が無い。また、一人への特典はその他全員への不平等と同意です。固定資産税や相続税を支払わなくてよい人が居ては意味が無いんですよ。
今の天皇家は、人権の無いマイナスと、義務の無いプラスの混在状態です。どっちかという話にはならないんじゃないなあ、と。天皇は(現実的に)アキバへエロゲを買いに行くことは出来ませんし、その代わり金を稼ぐ必要が無い。それが総合的にイイか悪いかは、その人の価値観です。でもそれを、プラスと思うからイイ、マイナスだと思うからダメじゃなくて、私達一般日本人と「同じ」にするべきなのではないか?と考えたのが先の端緒です。
だって、天皇がそんな状態なのは、彼が皇太子として生まれたからです。「親が誰か」で、人の生きる道というのは変わるべきだと思いますか?人が生きる道は、悩みながら・挫折しながらも「自分」で決めるべき…決めたいとは思いませんか?それが出来ない人の存在を許せますか?他人にそれをどーこう言われる人の存在を許せますか?
私にとっては他人事ですけど、同情せずにはいられません。今の皇太子に、「皇太子で在り続けたい?」と問い掛けた人が居ると思いますか?答えが「No」だとして、そこから彼を救い出す人が居ますか?日本国憲法第14条1を、皇太子はどんな気分で読んだと思いますか?
2600年の伝統よりも、皇太子の心境(の可能性)の方を尊重したいと私は思うのですよ。
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自由意思の尊重もまた、私の中で相当に大事な価値観です。
皇太子が即位する時に、考えて自分で結論を出したのなら、全く問題はありません。私達の口の挟む問題ではありません。それが、次の皇太子も、次の次の…次の皇太子にも保障されているのであれば、全く問題はありません。彼の自由意思を育む教育が為されている前提ですが。

③男系継続の話

「それが事実」なんて、どこにも書いてないじゃあないですか…。「仮定」の話をしてるんでしょう?ifを使って、物事の本質を、要は敬意の基は何なのか、それをはっきりさせようとしているんですよ…。
そこまでこだわるってことは、やっぱりrazeさんは、不倫の子であったらダメなんでしょうか?

④まとめ…というか私事

私が最近の日記で共通するテーマは、『群青の空を越えて』(light)のグランドルートの、社の演説に近いです。もちろん、最後の丹沢ベースでの放送じゃなくて、その前の、貴子のマンションで関係者を前にした際の演説の方です。
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天皇だから尊敬する」
「女性だから好き」
「日本人だから応援する」
これらは、意外と必要十分条件を満たしてしてないんじゃないでしょうか?ということは、もう一段か二段深い段階に理由があるはずです。カテゴライズで終わるんじゃなく、その「根本」が見たいと思って、私はこんなコトを書き連ねていたワケです。
もちろん言葉が言葉である以上、限界はあります。定義付け無しでは何も語れませんから。でも、そこを「考えて」、物事の本質を突けたらなあ、と思うのです。
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以上、大変申し訳ないですがm(_ _)m全然まとまってない文章です。おそらく意図は伝わらないと思いますので(汗)、是非反論よろしく。

⑤忘れてた(汗)

すいません、一つ忘れてました。衆議院選挙の件ですね。
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今でこそ、情報化社会となりました。インターネットはそれを促進させたと思います。同時に、個人主義化という意味での相互尊重は、こうやって皇室民営化論なんてブチまけても、それなりに一つの意見として書き表すことができるようになりました。その上で選挙をやって、天皇党が政権を握っても、それは「国民の選択」と言えるのかなあ、と思います。
でも、60年前にコレをやったら?(今よりは)固定観念が強く残り、同時に、情報も限定的で、意見を述べる場も少ない時代。この時代に、国民は天皇というラベリングを無視できたんでしょうか。たぶん、難しかったんじゃないでしょうか?政治に何が必要か「考えること」を飛び越してしまったんじゃないでしょうか?そういう文化が無かったワケですし。
この辺を封じたGHQの「象徴天皇」という施策の評価は分かれると思いますけど。
まあこの辺、今もそんなに変わんないかもしれないですけどね(笑)。