ザオラル
かつての日記(2006年6月まで公開していたもの)を再公開しました。
人間の細胞は、5年も経てば全て新しいものに置き換わってしまうと言います(『EVER17』にありましたね)。つまり、今の私は、あの頃とは最早別の存在なわけです。もちろん、関連が全くないわけではありませんが、当時の考え方や方法論は現在と異なる箇所が多々あり、自分の過去というよりは、まるで親が我が子のダメダメっぷりを苦笑混じりに眺めているかのような感覚が生じてきました。
このはてダ以後の分についてはこの間(〜2012/7/21)原稿として出したので、そこで一区切りが付いたこともあります。
また、このはてダに対し、ASTATINEというBlogがいくつかのリンクを貼っています。あそこは今もなお失われない価値のあるところだと思っていますが、こちらの記事がないと話がなかなか通じないところも多く、ずっと気掛かりでもあったのです。
以上のような理由から、再公開に踏み切ったものです。
ただし、エロゲ関係以外の記事や顔バレの危険を含む記事については削除しました。また、記事中にはかつての自分のサイト(ジオシティーズ)へのリンクが多いのですが、サイトは引き続き非公開にしていますので、リンク切れが多々あります。何卒ご了承ください。
なお、現状の私がどーしても気になる人はTwitterを探してください。
これが文化庁ならまだしも、経産省なら、無理か
経産省、ゲームソフト制作者を表彰・業界活性化めざす
経済産業省は24日、国内のゲーム産業を育成するため、ゲームソフト制作者の表彰制度を創設する。2007年度にも大臣賞などの表彰制度を導入する。そのほかゲーム業界に特化した就職サイトの開設なども検討する。少子化で縮小するゲームソフト市場の活性化を目指す。経産省は国内ゲーム市場の活性化とゲーム産業を輸出産業に育てるため、「ゲーム産業戦略」をまとめた。海外のゲームソフト市場では韓国企業などが台頭している。日本企業の国際競争力を強化するため、産学連携やゲーム会社へのインターンシップなどを推進し、若年層の取り込みも積極化していく。
それならぜひ、『Forest』を。この作品ほど、一般に通じるエロゲも無い。
夢を現実にするということ
連 だからねぇ、マジメな話「らくえん」作ってて何が一番ツラかったって、現実の方が絶対おもしろい。おもしろいんだけど、まさか書くワケにいかないってコト。各方面への配慮ももちろんあるんだけど、むしろ現実を書いちゃったら笑えない。いや、笑える人も多いと思うけど……。それに現実をそのまま書いたら、逆にリアリティがなくなっちゃうよ。バランスというか落としどころがね、けっこう最後まで悩んでました。
〜月面基地前オフィシャルサイト 「らくえん シリーズ・証言第1回」より〜
たまに、フィクションを越えてしまう現実ってのが、ある。今日の、夏の高校野球決勝、駒大苫小牧対早実戦は、まさにそういう素晴らしい戦いだった。
特に、早実の斉藤投手の最後の投球は、震えが来た。
終盤、表情にも疲れが見え、球速も若干落ちてきた。それでも彼は、最後の打者…駒大苫小牧の4番に、最後の渾身の力を振り絞って投げ込む。既に170球以上を投げているにもかかわらず、この日最速の140キロ台後半を連発。それでも僅かに外れノースリーとなって…それからが真骨頂だった。アウトローに、最速のストレートを2球。そして最後は、インローの素晴らしいコースへ高速フォーク。
人生、力を発揮すべき瞬間というのは確かにある。それが到来した時、力を出せるかどうか…は運ではなく、その人の努力によって決まる。これまで、何万球と投げ込んできたストレート。それを、「この瞬間」をイメージして行ってきたか。彼は、「この瞬間」に、これまで練習で固めてきた投球フォームをトレースし、渾身の力を込める。それが、斉藤投手の、最後の3球だったのではないだろうか。
これから、彼がプロへ行くのか、プロで活躍することが出来るのかはわからない。でも、私より10歳下の彼が、その段階で、「それ」を実践してみせたことは、彼の人生にとって、間違いなくプラスとなるだろう。
『キラークイーン』(FLAT)初感
『こなたよりかなたまで』(FC01)のライター、健速氏が同人でシナリオを描いた作品。
今日まで購入予定のところにこの作品名が挙がってなかった理由は…「すっかり忘れていた」からでした(汗)。ErogameScapeに感想が載って初めて、夏コミの発売であったことを思い出し、慌てて買いに行ったのです。
「第一章」まで終わりました。
最初は驚きました。
「この人、こんなの書けるんだ」、と。
最後には思いました。
「これはやっぱりこの人の作品なんだ」、と。
そして、「ああ、そうだ。私の『こなかな』評は、間違ってなかったんだな」、と。
許されるフィクション許されないフィクションの話
もちろんこれには、誰にも個別に線引きの基準があると思いますが、私の場合の話を。
私は、「上手いフィクション」ってのは、「現実」を描くことのできるフィクションだと思っています。これは、矛盾ではないつもりです(笑)。
0.1%の確率もしくはそれ以下でしか起こり得ないこと。例えば「家が飛ぶ」とか(笑)。こんなの、現実にフツーに生きてたら、まず起こりません。でも、私はそれだけで排斥するつもりは微塵も無いのですよ。
それが肯定されるのは、「if」として使う場合。「もしこういうことが起こったら、どうなるか」という、「設定」の問題。それは、あまりに現実性に徹し過ぎると描けないし、それでは物語の幅が全然無くなってしまいます。
じゃあ、肯定できないフィクションとは何か。それは、登場人物の心情に関わる部分です。
とある登場人物が「こういう状況下で、こう考える」というところには、フィクションが在っては駄目だと思うのですよ。それは「設定」の「if」じゃなく、登場人物描写自体の矛盾です。
その登場人物の「個性」の部分の「if」は、まだ許せます。それが、あまりに現実とかけ離れたモノでは魅力を感じないですけどね。
萌えと陵辱の相違点
正直な話、エロゲを170作プレイした今でも、「萌え」って感覚は実感できないのです。
そのヒロインを視覚的に見て、それで愛でるという感覚は。
私がエロゲをここまでプレイして悟ったことの一つは、「私って女性を見た目で判断しないんだな」ってこと。もちろん、エロゲのヒロインがそれなりに綺麗な容姿を欠かさず持っている前提での話なのかもしれませんが。