人を選ぶ名作

某所の私の『CARNIVAL』レビューへのリンクを見て、再プレイしたくなった。



リサは呟く、「世界は人間を愛していない」と。それは、「好きでも嫌いでもない」のだ。この作品に在るのは、「在りのまま」。誰も彼らを罰してくれないし、誰も彼らを赦してくれない。ただ、互いの個々のままに、在り続ける哀しさ。


私はこの作品について、小説版を経て加筆はしたがリライトはしていない。
基本的に私の文章は、「ここがこーいう理由で面白かった/不満でした」なので、「私的解説」に近いのだが、この『CARNIVAL』については、それをする必要はあまり感じていない。
この作品は、「在るがまま」を描いているし、「感じたまま」が、評価なのではないか。私は、皮肉でも嫌味でもなく、この作品を「感じられない」人が、幸せな人だと思う。その人は、この作品を、「在るがまま」なんて思ってはいないだろうから。フィクションだと感じ取れるということではないかと思うから。





その分、私は『SWAN SONG』に不満を感じるのかも。
ハッピーエンド/バッドエンドの二分論は、この『CARNIVAL』での無機的描写とは一線を画する。「在りのまま」ではなく、結末へ向けた作者の意図を感じてしまう。その分、「純粋さ」を感じられないのだ。
また、『CARNIVAL』を描いた人が、田能村や雲雀の「存在」を信じているかというと、甚だ疑問。それは理想であれど、現実には存在しないと、他でもないこのライターは思っているのではないだろうか。
つまり、『SWAN SONG』は、「物語」なのだ。「作られている」。私にはその印象が強く、第二作としての妥当性は理解できるけれど、第一作『CARNIVAL』を上回ったとは感じていない。