ハッピーエンド論・本論

いやあ、最初はPowerPointで作ろうと思った*1んですが、流石に飽きた(笑)。なのでテキストで書きます。なお、今日の日記はリンク禁止です。
 :
エロゲの登場人物というのは、キチンと描写がなされていれば、その人物の…なんていうか「生き様」は、一種の「線」として見えてくるはずなのです。それはいわば「方程式」のようなもので、その式自体が立ってしまえば、例えば「こういうシチュエーションでこの人物はどう思うか、どんな行動を取るか」ということは想像できるはずなのです。
私の場合、エロゲを読んでいて最も面白いのは、この「式」を掴むまでの瞬間かもしれません。それさえ出来てしまえば、あとは、その登場人物がどういうシチュエーションになろうとも、その方程式に「代入」しさえすれば、答えを「想像」できますから。
そう、いいエロゲには、「描写不足」なんて在り得ないと、私は思うんです。その「式」がわかっているのであれば、それは「実線」として描写しなくても、解を導き出せるはずなのです。となれば、その「線」を初めから最後まで描く必要はないんじゃないかと。私は、実際のシーンを描くことだけが「描写」だとは思わないのですよ。
 :
最も典型的な例は『こなたよりかなたまで』(FC01)の佐倉シナリオでしょうか。あのシナリオに、エピローグは要らないと、私は思います。あの先に待ち構えているもの…彼方の死と佐倉の悲しみのもたらすモノは、あの作品を読んだ私には痛いほど理解できる。私はあの作品に人生唯一のSSを書きましたが、あれを書けたという時点で、わたしにとって『こなかな』は血肉に溶け込んだんだと思います。
そして、同じことはクリストゥルーエンドにも言えるかと。優しすぎた馬鹿者二人がこれから歩む道には、幾多の困難と数多の別れが待ち構えているでしょう。でも、それだけじゃない。二人がこれから何を思い、何を求めて生きていくのか、その描写は無いのですが、「描けている」。だから、それで充分なんです。*2
 :
今のエロゲは99%以上が何らかの形で「恋愛」を描きます。
「恋愛」とは先の例で言えば、男性登場人物の「生き様」という「方程式」の描く「線」と、女性登場人物の「生き様」という「方程式」の描く「線」が交わる点であるはずです。私は、そうあって欲しいと思うんです。
ただし、実際には、そう簡単にはいかないはずなんです。
 :
実際には、各登場人物の「線」は、二次元ではなく三次元上にあるんです*3。二次元上にある直線は平行でない限り必ず交わりますが、三次元上にある直線の場合、そうとは限らない。「ねじれ」の関係が生じるのです。
 :
この「ねじれ」の結末を持つエロゲは…実はけっこうあります。
例えば、『腐り姫』(Liar-soft)では、世界を敵に回して純粋に兄を愛する実妹・樹里の「線」と、妹を妹としてしか愛せなかった兄*4・五樹の「線」は、「交わらない」。
そして、その「ねじれ」に至る理由を描く作品…それは登場人物の「線」を導き出すことに他ならないと思うのですが、そんな作品の描写力が高いレベルに在ることが多いのは必然です。
 :
エロゲにおいてハッピーエンドはスタンダードなんです。
スタンダード…「常識」であることには、あまり理由を求められません。逆に、その「常識」を外す場合には、何らかの「理由」を描写しなければ、納得されることは少ないはずです。そういう作品は結果的に、「式」なり「線」の描写に関しては一筋縄ではいかないモノを用意することが多くなります。
また、逆の方法論で、確固たる「式」を完成させた結果、「交点」を失った作品というのも、存在するはずなんです。そこまで「必然の結末」を描ければ、その作品の完成度は高いモノに仕上がっているはず。
 :
これまで経験した中で唯一、「理由もなくバッドエンドを描こうとするエロゲ」をプレイしたことがあります。『ゆきうた』(Frontwing)です。しかし、これは私にとって今一つでした。「理由の無いバッドエンド」が「理由の無いハッピーエンド」と同様の味気なさを感じさせることに気付かせてくれた作品です。
 :
もちろん、「式」さえしっかりしていれば、結果的にハッピーエンドでも全然問題なしです。
ただし、これが複数ヒロイン複数シナリオ作品だと、そう簡単にはいかないのですよ。
先程、エロゲにおける「恋愛」を男性登場人物の「生き様」という「方程式」の描く「線」と、女性登場人物の「生き様」という「方程式」の描く「線」が交わる点であるはずと書きましたが、コレ、一人の男性主人公と複数の攻略可能なヒロインという設定で図を書くとどうなりますか?中央を走る男性主人公という「線」に対し、ヒロインの「線」が左から右から絡み付いてくるという…ご想像の通り、かなり歪な図になるはずです。
 :
だから…私の褒める「ハッピーエンド傾向」エロゲには、単一ヒロイン的作品が多い(『鎖−クサリ−』(Leaf)、『家飛 カットビ!』(TerraLunar)、『いたいけな彼女』(ZERO)など)のは、理解されやすい部分かと思います。
 :
そしてもう一つ、意外と「ハーレム」的な作品も多いのですよ。
「片方を選ぶ」ことを拒否する『お願いお星さま』(PULLTOP)。「ひよこ館」という舞台の描写が素晴らしく、その中で5人が揃って個性を発揮する『パティシエなにゃんこ』(ぱじゃまそふと)。レズの王子様、杏里・アンリエットを中心として、「子猫ちゃん」達の友情が描かれる『サフィズムの舷窓 〜an epic〜』(Liar-soft)*5。これらの作品は、図で言うと、各ヒロインと主人公のそれぞれの「線」が交わる「点」が非常に近い…もしくは全てが一点で交わる作品なのではないかと。構成の歪さがないのです。
 :
では、私にとって「ダメなハッピーエンド」とは何なのか、と。
端的に言えば、「線」が描けていないにもかかわらず、「点」だけを作っているエンドですね。なにせ、エロゲにおいてハッピーエンドはスタンダードですから、とりあえずそれが目標の作品。積み重ねじゃなくて、結論ありきで出来ている作品。
「線」が薄く、「生き様」の見えない登場人物。それを、「恋愛成就」という領域上の「点」にいきなり力技でワープさせる作品。正直な印象として、これまで数多く経験してます。
逆に、同じような線の薄い登場人物を、いきなり「バッドエンド」領域に持っていったら…そんな作品は製品としてまず成り立ちません(笑)。なので、そういうのは必然的に少ないんですね。
 :
結論としては、「ハッピーエンドが好きか好きじゃないかなんて、意味がない。だってそれは、方程式の解による結果的傾向の話にすぎない」ということ。
私はどうやら、「方程式の美しさ」にこだわるようです。そういう意味では、そのエンドが「どんな領域にあるか」は、けっこうどうでもいいのかも。
先にも書いた通り、エロゲにおいては、「方程式」さえ掴んでしまえば、あとはどんな変数においても答えを導き出せるんですよ。それはある意味、無限の可能性。それは、エンディングと等しい数の「点」のハッピーエンドしか持たない作品よりも、遥かに奥深いです。

*1:EVER17』レビュー以来です。

*2:もう一つ言えば、だから、『こなかな』は、私にとって「恋愛物語」なのですよ。

*3:いわゆる現実の意味ではなく、文字通りの三次元空間の意味。

*4:と私は思ってます。

*5:ただし、鼎さんだけは別。