ちょっと盛り返したからこそ書けること

たまには、ポエムでも書くか。
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もちろん、エロゲ関係で「ポエム」と言えばいわゆるポエムのことではなく、『未来にキスを』(otherwise)の式子の言う、誰に聞かせるのでも、誰に理解を求めるのでもない独り言のことを指します。
そんなわけで、以下、理解も反発も共感も求めません。
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在宅主義者の私が旅行等による不在以外の理由で日曜日に日記を書かないことはほとんどないのだが、昨日は書かなかった。それは、早い話が、かなり精神的に参っていたから。それは、書けるんだが。
いやー、先週をピークに、仕事がなんとも上手くいかなくてさあ。昨年の2月〜3月にもかなり仕事の愚痴を書いたけど、今から思えば、アレは児戯だね。
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改めて思った。「私は根本的にアマモリ(『Forest』)に近いんだなあ」と。
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この「リアル」において、私を打ちのめすのは常に現実だ。そして、私を打ちのめす相手が、私の価値観で否定できる「悪者」だったら、どんなに楽だろう?奴らの最も性質の悪いところは、それが「間違っていない」ことだ。私のいっぱいいっぱいさを見て即座に私から仕事を取り上げた課長の判断は、客観的に改めて見ると完全に正しい。だから腹が立つ。だからやりきれない。
「現実」には「悪者」なんぞ居ない。日本社会ってのは意外と上手く出来ていて、そーいう奴らは初めから存在し得ないようになっている。この社会で大きな力を持つ存在は、突き詰めて考えると「正しい」。「結果論として」正しい。
「現実」の「正しさ」を打破する難しさは、私が社会人になって最も痛感したモノだ。
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『Forest』作中で、アマモリは自分のことを「OL」だと絶えず主張し続ける。誰よりも「現実」に打ちのめされているのはアマモリに他ならないのに、彼女は[森]という素晴らしき「夢の世界」に再び足を踏み入れたのに、それでも彼女は「現実」との唯一の接点を手放そうとはしない。
この感覚、痛いほど理解できるんだよねえ…。
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「現実」の持つ圧倒的な力強さ。その前に、一切の虚構はその輝きを失う。
この感覚を持つエロゲというのは、本質的に存在し得ない。エロゲはそれ自体が「夢」であるからだ。
だから私は、星空めておという人が『Forest』という作品を生み出したことは、未だに奇跡中の奇跡だと思っている。それを、私達のような本業として[現実]を生きる人間の側ならばともかく、エロゲクリエイターの側から創ったという「在り得なさ」。この作品が、エロゲでありながら、ラストで「ヒロインと主人公が結ばれないハッピーエンド」を描き切ったことはその象徴だろう。*1
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こうして私は、一時は本気で鬱になり、ちょっと持ち直して愚痴を吐く。
それでも私が前に進んでいける理由の何割かは、「現実を歩くこと」の価値に気付かせてくれた、この『Forest』という作品に基づくんだと思う。
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それに、さっき、「現実は私を打ちのめした」と書いたけど、結局、今日、私をいくらか助けてくれたのも、「現実の正しさ」だったのだから。

*1:他にも、ライアー初のパッチ無し作品となったこと、(これまで)ライアー唯一の女性フルボイス作品となったこと、遅筆で名高い(らしい)めてお氏が発売日までに完璧に完成させたこと…などの奇跡が組み合わさって出来ている。