貴方はこんにゃくが好き/嫌いですか?それは、繊維質が含まれて健康にいいからですか?ぷるっとした食感のためですか?見た目が石みたいでユーモラスだからですか?日本の伝統食材だからですか?いや、おそらく、美味い/不味いから、ただそれだけでしょう。

以下、杞憂であることを祈っている日記です。
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理屈っぽいレビュー…特に褒めてない場合の最大の悪徳は、それを否定するのに多大なエネルギーを要するところです。
「感動できなかった」というレビューには「自分は感動した」の一言で終わりますが、「○○が今一つ」というレビューには「それは□□が△△なんだ」と一々反論しなければなりません。しかも性質が悪いのは、その反論がなかなか本人に通じにくいことです。
なぜ通じないか。なぜなら、その本人がそれを否定している理由は、「○○」⇒「今一つ」なのではなく、「今一つ」という結論から、「○○」を導いているからです。
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そのエロゲを褒めてないレビューなんて、気にする必要は無いのではないかと、私は本気で思います。もしそのエロゲが自分にとって面白ければ、そんな「楽しめなかった」人のレビューなんて、笑い飛ばせばイイのではないかと。
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エロゲなんて、楽しんでナンボじゃないですか。少なくとも私は、他の方の評価を貶めるために批判をしているワケではないツモリです…たぶん。*1
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私がかの作品を褒めなかったのは、『Forest』『サフィズムの舷窓〜an epic〜』という、私の中での二つの素晴らしい作品*2を経験していたからです。逆に言えば、その二つの名作の余韻が今もなお私の中にあるからこそ、あの作品を褒めていないわけです。
それを、その二つを経験していない人、あるいは、それらに私と同レベルの素晴らしさを実感していない人に、「比べるとイマイチ」という結論だけを味あわせたって、そりゃあ、無意味です。
他人に影響を与えるのっては、正の方向ならもちろん嬉しいですが、負の感情を与えること…「つまらなさ」を味あわせることってのは、イマイチです。むしろ罪悪感を感じます(汗)。
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同時に、理屈っぽいレビューの、その理屈を少々否定できなくても、その作品が面白くないってことは微塵も無いでしょう。この世で人の感情以上に大切なモノなんてありません。何もかも最終的にはそこに行き着くはずです。感情で理屈をねじ伏せるのは、エロゲの正当な楽しみ方ですよ。
私自身、自分のレビューでは「必要ないこと」はどんな矛盾であろうと書いていませんし。要は後付けで理論武装しているだけなのかもしれませんよ(笑)。
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以上、自意識過剰&杞憂のお話でした。
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私が私のためにレビューを書く立場にとっての話をさせていただければ、他の方が私のレビューを読んだとしても、何らの影響を受けないくらいの方が、批判的に書き易いんです。最近、「相対化」という言葉を何度も使いましたが、レビューも、「相対化」出来ないと非常にバランスが悪い。
長く読んでいただいている方であればお気付きかもしれませんが、あの作品のレビュー、相当に婉曲させてます。注目されてる新作だし、容赦なく書けばおそらくただではすまんだろう、と(汗)。『車輪』の頃*3に比べれば、だいぶ丸めてますね。
「他人に負の感情を抱かせないような書き方」という意味では、それは当然やって至極のこととも言えますが、本音を言えば「書きにくい」んですよね(笑)。

*1:その割に私は酷評が多いかもしれませんが(汗)、「自分」の価値判断にはそれは有益なんですよ。でもその目的は、逆の「面白い作品を絞り込むため」でしょうか。実際、一つの作品のイマイチ感で別の作品の再評価がなされることはけっこうあります。

*2:最終的に私が感じずにいられなかったのは、「彼女らが寮や島のことをすっかり忘れてしまったら、それは本当にバッドエンドなのか」ということでした。逆に言えば、それが為されればハッピーエンドなのか、と。

*3:論調はそんなに変わらないはずです。そりゃ、『車輪』は「社会性」という私の住む世界に直結する部分の話ですから、今回とはレベルが違うんですが。