信者論

以下、ここ数日の日記の背景です。
自分のことなんで、たまには強く言ってもいいんじゃないかと。
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私が未だに星空めてお信者」と称されることについて。
はっきり言って、この言われ方は全然気に入りません不愉快ですらあります。
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信者ってのは、神サマとか教祖サマの言う事に盲目的に従うのですよ。思考停止して、そのカテゴライズの範疇を絶対的なモノとして信じられるのが信者です。
かつて私は、(『CANNONBALL』のシナリオは特に褒めたつもりはありませんでしたが、それ以外の)めてお作品のほとんどを絶賛していたので、客観的に見て、私が「めてお信者」に見えたかもしれません。そんな状況下では、私の内心はどうであれ、他の方からそう見えるというのは仕方のないところです。
しかし、今は、私の主観的にも、第三者から見た客観的にも違うはずです。なぜならSEVEN-BRIDGE』レビューのほぼ全てが批判だからです。私は、特定の要素…「星空めてお作品」という要素を絶対に肯定するなんてこと…信者的妄信はしていないと思うのですが?
氏の実力を感じているから…求めるレベルが高かったからこその批判*1という点はありますが、私は自分でも驚いたくらいあの作品に対し批判に傾いたのです。「あ、俺、信者じゃなかったんだな」と(笑)。
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私は今でも星空めてお作品のいくつかを非常に高く評価しています。それは『SEVEN-BRIDGE』後も変わりません。でもそれは、「星空めておだから名作」じゃなくて、「名作に星空めておが多い」というだけの意味ではないですか?それは、「信者」という語意とは違うと思うのです。
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むしろ今なら、私を枕流信者と見る方が相応しくないですか?
私は枕流さんというライターの作品をここまでほとんど褒めてます。全体構成力に疑問を感じた時もありましたが、『ねがぽじ』の再評価と、制限無く作られた先の『Destino』の素晴らしさでそれも見直しました。
私を客観的に見て、「枕流信者」と感じるのは、ある意味納得がいくことでもあります。信者となるための最低条件…「それまでの作品への賛辞」という点は満たしていますから。でも、信者となるための必要条件…「これからの作品への妄信的賛辞」をするかどうかは、またちょっと違う話だと思うのです。
たぶん、先の『SEVEN-BRIDGE』と同じように、私は、枕流さんのこれからの作品を「凡作」と読んだら、そう評すると思います。そういう意味で、私がどれだけ氏の「信者」なのかも、疑問なのではないかと自覚しています。
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私は作品自体しか見ていないつもりですよ。その辺はドライな人間でもあります。
例えば健速氏の次作あたりは、なんだか褒めないような予感があります*2
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私のサイトは、今や自分でもアキれるほどのボリュームに肥大してしまいました。レビューの長文もさておき、この日記も加わっているので尚更です*3。一から最後まで読むのにどれだけかかることやら。たぶん、新規の方にそれを期待するのは難しいんでしょう。
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だからなのかなあ、私がageに同情的なのは。

*1:あともう一つ、普通は、批判の時にこれでも少なからず手加減するんですが、この作品に対してはそれをしませんでした。

*2:それでもたぶんプレイしてしまうんでしょうけど(汗)。

*3:更に、個人的には、ErogameScapeのID「judge13」の方も踏まえてほしいところ(笑)。