非異性愛論

実は、私Judgeは、女性なんですよ。
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上記↑の発言は、大嘘です。
今まで私のレビューを読んできた人なら、そうでないことくらいすぐにわかるでしょうね(笑)。
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でも、もしかしたら、↑の私の一言で、何か私に対する印象が変わりかけたんでしょうか?私はみなさんとはこのWebを介したお付き合いしかないですし、テキストしか介在しないわけで、そこから読み取れるモノが全てのハズじゃないですか。それを書いているのが、女性だろうが朝鮮人だろうが、本来的に何の関係もないはずです。
でも、たぶん、この私も、いつも見てるサイトの中の人が突然女性だと知ったら、印象が変わっちゃうでしょうね。視覚なし・現実における対面なしの状況ですら、相手の性別は付き合いに変化をもたらさずにはいられません。
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となれば、その人を実際に眼にして・出逢う中で、少なくとも無意識的に、その人の性別が意識されていないはずはないんでしょう。
「恋愛とは肉欲だ」
先の『Imitation Lover』(light)という作品で尚也という登場人物が吐いたこの科白を、私は結局最後まで否定しかねました。
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異性の何を好きになるかという点で、「中身」という答えはそれなりに多いはずです。でも、それは、男性にも女性も変わらないはずの要素ではないでしょうか?でも、何故か、「中身」を選別する前の段階で、既に人は少なくとも無意識的に「性別」で選別をしているわけで、そうなると、それは「肉欲」と違うんだろうか…と。
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エロゲーってのはエロが存在するからエロゲーなのであって、この部分に対する懐疑をエロゲーに求めるのは本来お門違いです(笑)。
でも、私の第二作目であった『サフィズムの舷窓』(Liar-soft)でエロゲにハマった私は、どーもそこに突っ込みたくなって仕方がないのですよ。このゲームは純然たるレズゲーです。そしてこの作品の…特に旧版*1で私が最も惹かれた場面は、アイーシャシナリオ終盤におけるヘレナとの場面「杏里、私の友」でした。

「もし、この場で杏里のすべてを受け入れられたら、することすべてを受け入れられたのなら。彼女を留めることができるだろうか?もしかするとこのまま、いつでも会える場所から離れかねない杏里を、引き留めることができるだろうか。」
最も杏里と同じ時間を過ごし、最も杏里に抱かれたヘレナ。だけど、自ら「風紀委員」を務める堅物さと信仰と常識を持つ彼女は、全てを杏里に委ねることが出来ない。彼女の生き方は、杏里との関係の全てを肯定できない。ヘレナが、ヘレナであるために。そのことを悟ったヘレナは、アイーシャを追おうとする杏里に、すがり付くことが出来なかった。

私はこの作品…そのうち半分くらいはこのシーンでエロゲのシナリオに魅せられた稀有なエロゲーマーです。このレズゲーは、レズという関係の本質を突いてきた。それはリメイク『an epic』で更に顕著に。「年下しか愛さない」杏里というレズビアンの存在は、「年上」である天京院鼎の存在と相まって、「恋愛の限界」と、その中での関係を見事に描きます。それは裏を返せば、恋愛とは何であるかの問いかけです。
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繰り返しますけど、エロゲーって本質的にこういうテーマを正面から描くジャンルじゃありません。でも、何を思ったかそれに触れてきた作品は存在します。
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ライアーはこの手の描写が実に多い*2のです。
そしてもう一つ、断トツに突き抜けた作品が『二重影』(ケロQ)。メインヒロイン三人のシナリオは固有名詞を入れ替えただけというお手軽ぶりなのに、北条とのエンドはまさに愛(笑)。何の躊躇いもなく北条を抱く双厳には、プレイしていた私も、正直なところ、開いた口が塞がりませんでした。北条は…男性です。*3
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でも、よく考えたら、「何がおかしい」んでしょうか?
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その「人間」を好きになるのに、性別が必要なんでしょうか*4?セックスが愛に欠かせないなら、性転換してオ○ンコが備わっているんじゃダメですか?それでいて容姿端麗・人間的にも素晴らしいのであれば、愛するのに何の問題がありますか?
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でも、「愛せない」んですよね。
人は、人をその「中身」だけでは愛せない。
私だって愛せません。
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その理由は、「本物の女じゃないから」というモノしか存在しないし、なんで本物の女以外がダメかといえば、本能的な理由になってしまう。結局、愛は、本能の前に敗れ去るしかないのではないか。愛とは本能…肉欲でしかないのではないか。
エロゲ*5…に限らず何であっても、そこを否定してくれたモノには、私はまだ出会ったことがありません。まあ、当たり前と言えば当たり前で、しょうがない結論じゃないかな、とも思います。でもそれは、「恋愛とは肉欲だ」ということを認める必要があるということだし、私達男性が女性を公正な眼で全然見ていないということの現われでもあるはずです。
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もうすぐトリノオリンピック
また、女子選手たちは、その競技に対する姿勢とかじゃなくて、それ以前に「女性」として視られるワケです。それは、される方が可哀想ですし、する方もどーかと思います。じゃあそれが避けられるかというと、避けられないんですけど(涙)。
女性の方はどうなんでしょうか?男性をそういう眼で見るんでしょうか?…男性の場合ほど酷くはないような気がしますが。

*1:今はシナリオが追加された『サフィズムの幻想〜an epic〜』が発売中。

*2:『行殺』の斉藤エンド・『ぶるまー2000』の「卒業写真」エンド・『ラブネゴ』のおやっさんエンド(!)・『腐り姫』の青磁・『SEVEN-BRIDGE』のジョエルといったところ。こーしてみると、星空めておの割合が高いなあ…。

*3:ケロQはもう一つ、徹底した「ふたなり」へのこだわりという特徴を持つブランドですが(笑)、それについてはまた機会があったら書きます。

*4:そういう理由で言うと、同性愛者ってのも、異性愛者と同じ意味しか持たないと思います。要は、人の半分を本能的(多少、本来の機能からは狂いが生じてますが)にふるいにかけているだけですから。

*5:天使のいない12月』(Leaf) が、透子というキャラクターで、外面的な魅力のないヒロインを描こうとしたという話を聞いたことがあります。でも結局Leafのグラフィック力は、それなりに透子を可愛げのあるヒロインにしてしまいました。『沙耶の唄』(Nitro+)もそれに関する作品ではありますが、結局、郁紀にとって沙耶が美少女に見えているのであれば本質的な部分は変わらないとも言えます。要は、好みのタイプが極端なだけの話で。精神病院エンドは私がここで言う意味に最も近いですが、「向き合えない」ところがこの作品の至った限界なのかな、と。