(1)はじめに

著作権法第三十条
著作権の目的となつている著作物(以下この款において単に「著作物」という。)は、個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において使用すること(以下「私的使用」という。)を目的とするときは、次に掲げる場合を除き、その使用する者が複製することができる。
一 公衆の使用に供することを目的として設置されている自動複製機器(複製の機能を有し、これに関する装置の全部又は主要な部分が自動化されている機器をいう。)を用いて複製する場合
二 技術的保護手段の回避(技術的保護手段に用いられている信号の除去又は改変(記録又は送信の方式の変換に伴う技術的な制約による除去又は改変を除く。)を行うことにより、当該技術的保護手段によつて防止される行為を可能とし、又は当該技術的保護手段によつて抑止される行為の結果に障害を生じないようにすることをいう。第百二十条の二第一号及び第二号において同じ。)により可能となり、又はその結果に障害が生じないようになつた複製を、その事実を知りながら行う場合
2 私的使用を目的として、デジタル方式の録音又は録画の機能を有する機器(放送の業務のための特別の性能その他の私的使用に通常供されない特別の性能を有するもの及び録音機能付きの電話機その他の本来の機能に附属する機能として録音又は録画の機能を有するものを除く。)であつて政令で定めるものにより、当該機器によるデジタル方式の録音又は録画の用に供される記録媒体であつて政令で定めるものに録音又は録画を行う者は、相当な額の補償金を著作権者に支払わなければならない。

今、分科会(?)でで審議されているのはこの第三十条2の「記録媒体」の中身だろう。現在、政令指定を受けて補償金を課金されているのはDAT・DCC・MD・オーディオ用CD-R・オーディオ用CD-RWだが、これにMP3プレイヤーを加えるかが問題になっている。
これについては、どういう方法で補償金を支払うかには問題が残されているが、補償金を課すこと自体は原則的に肯定したい。複製されて、本来なら(というよりも複製が全面的に禁止されていたら)二枚売れるはずのCDが一枚しか売れない以上、売り手は何らかの対応を考える必要があり、その方法は価格転嫁が主であるからだ。それなら、複製をしない人に対しても行なわれてしまう一括価格転嫁よりは、複製に応じた補償金支払の方が原則的には妥当ではないか。
所有権を盾に複製行為そのものを全面的に認めるべきという意見もあろうが、その範囲を私的使用に限ろうが限らなろうが、広いスパンで見ればトータルは変わらないのではないか。結局はその分の著作権者の不利益は価格転嫁か品物淘汰で補わざるを得ない。トータルとして、複製によって倍になると売上数が半分になって価格が倍になるだけではないか。
複製はする、価格転嫁は認めないという虫の良い話が通る問題ではない
市場が正常に機能している以上、不必要な偏りは自然と補正されると考えるのが妥当だろう。ただしそれは、マクロ的なものにすぎない。部分で偏りが生じており、補償金の再配分については数多くの議論がなされてきたところである。
補償金制度の価値は、完全価格転嫁を避け、同時に複製の権利を確保するところにある。完全価格転嫁が文化保護的に妥当でないことは明確だが、同時に、複製権の完全禁止もまた文化的に妥当ではない。特に昨今は、複製が同一媒体での複製ではなく、使用用途に応じてデジタル媒体自体が変化する傾向にある以上、その全面禁止は妥当ではない。
整理すると、補償金制度の目的は、完全複製自由化による価格転嫁・品物淘汰の回避と、複製使用による文化的使用価値の向上の両立にある。(複製による譲渡の違法性は著作権法が本来的に目的とする事象なので、ここでは取り扱わない。ここで扱うのは、全て、私的使用の複製の域を出ない使用方法である。)