2004年2月13日がもたらしたモノ*1

誤解を恐れずに言えば、『Forest』という私の中の最高傑作が破壊した最も大きなモノは、ライアーソフトそのものだ。
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腐り姫』は今でも世間的にライアー最高級の傑作評価だが、あのレベルを乗り越えるというのは簡単なコトではなかったはず。『Forest』と『腐り姫』はベクトルの全然違う作品なんで比べようがないが、両者はそれぞれの方向性で突き抜けた傑作だろう。*1
ライアーは過去を乗り越えたからこそ、その地位を得たと思う。
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さあ、今のライアーに、「乗り越えるべき隙間」は残されているのか。
次の作品で、『腐り姫』や『Forest』といった作品を、乗り越えられるのか。
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ライアーソフトのこれまでの最も大きな特色はその多様性だった。歴史・フェチズム・レズ・伝奇・スペースオペラなんて多種多様な舞台を用意できるブランドが他にあろうか?
だが、その究極は『Forest』だった。
ライアーはそれまでもギャグで下敷きネタを使ってきたが、流石に[森]の後で何をやっても映えない。演出や造形にも特色のある彼らであったが、[リドル]の後に本当の創造性を感じさせるのは難しい。
正直、今のライアーは行き詰っている。作品を「作りすぎて」、もう開拓すべきジャンルを見付けられなくなっているような気がする*2。そこであえてスタンダードに戻るほど、彼らは覚悟を決められていないと思う。そういう意味で今は中途半端気味。
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もちろん、『Forest』を越える作品を作れたら、再び彼らが高みに登る時だ。
だが、勢いは徐々に失われつつある。『CANNONBALL』は再販された。意義の無いリメイクを嫌っていたはずの彼らが、その最大のミステイクであったバグも消せないまま再販された。次は、何を失うんだ?
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私は別にめてお信者と思われても構わないのだが、これまで「めてお信者」と自分を称したことはほとんど無いと思う。ほとんど「ライアー信者」と書いていた…はず。
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まだ『ぼーん・ふりーくす』は封も開けてない。『AngelBullet』もそうだったが、昔から温めていたらしいネタが最近になって製品化されているとかいう噂に閉塞性を感じずにはいられないのだ。
この『ぼーん・ふりーくす』が私にとって最後のライアー作品にならないことを夙に願う。

*1:更にもう一つ別なベクトルの作品を挙げるなら『CANNONBALL』がある。私はそんなにこの作品を褒めてないのだけど。

*2:ライアーが踏んでないジャンルはもう一つしかないと思う。そう、「恋愛アドベンチャー」だ。いや…『SEVEN-BRIDGE』はそれをやろうとしたのか?