like a dog

私はタマネギが子供の頃から嫌いだ。今も基本的に嫌いだ。で、タマネギの何が嫌いなのか。それは「タマネギだから」だ。昔に比べれば、私はタマネギを食べられるようになっている。たぶん、「タマネギ味」の「タマネギ食感」の「タマネギでないモノ」があれば、食べられるだろう。
思い返せば、私の親はタマネギの調理が下手すぎた。私はどちらかといえば生の方が苦手なんだが(今も)、タマネギは強火でさっと熱を通せば生のあのつーんとした香りがかえって香ばしくなる。しかし、中途半端にやるとあのベチャっとした感じになる。
それを、私は幼稚園の頃から延々と「食べなさい」と言われてきたのだ。タマネギを前にしたあの絶望感を(笑)、私は人生のうちで既に何千回も味わっている。となれば、タマネギという食物自体よりも、タマネギという存在自体がトラウマになっていることは想像していただけるだろうか?
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その証拠に(?)、私は子供の頃に私の前に存在しなかったタマネギ料理なら食べれたりするのだ。
例えば吉野家の牛丼(しばらく食べてないが)のタマネギを「上手い」と感じながら食べることができる。それは、その味もさておき、私が子供の頃には私の周りに吉野家が無く、大学生になって初めて口にするようになった食べ物であるからだ。「吉野家の牛丼」には、私のトラウマが通じなかったのだ。こういう例はいくつもある。
しかし、こうして「これは大丈夫」という確信のない食べ物を「タマネギ」と意識すると、やっぱり食べられない。何かが頭の奥で拒否する。それはもう口にする前から。
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もしこの私の例が誰にでも当てはまるのなら、親が「好き嫌いはいけません」と強く言うことがどれだけ子供に「嫌いなモノ」を増やしているのだろうか。
これは食べ物に限った話だが、食の好みなんてのは歳と共に成熟していくモノだ。私は子供の頃、他にもたくさんの嫌いな食べ物があったが、歳を取るにつれてその美味さを悟るようになってきた。親は普通にコレを待っていればよかったのだ。