コメントのコメント(8/22)その1

8/22の日記にいただいたコメントについてのコメントです。
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読み返して…確かに我ながら、随分極端なコトを書いてますね(今更)。
ただもちろん、これは私の「理想」でもあります。誰もが、半分よりもうもうちっとだけでいいから他人寄りになれたら、それは住みやすい世の中だと思うんだけどなあ…。
「半分きっかり」って思ったら絶対に失敗するんです。ヒトって自分をどうしても美化するから。これは別にそんなに大仰なことでなくて、10の仕事を二人でやるときに、可能な限り「6」やろうとする、お互いに。私はそれでイイと思うんです。
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そもそもこのコメント、最初は純粋に選挙のことを考えていたのですが、途中からとある別なモノへの不快感が生じて、こんな書き方に至ってます。その辺は最終パラグラフに尽きますね。
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こなたよりかなたまで』は、少なくとも、波田陽区にぶった斬られる作品じゃない
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何のことかわからなかったらわからないままでいいです。以下は内緒話。
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この作品に文句をつけなるなとは決して言えないけれど、あそこまで「敬意」の感じられないコメントってないな、と思ったんですよ。
通りすがりさんのような感覚はわかります。私だって実際にそう生きられているわけじゃないです。私は「理想」だからこそ褒めているんですが、「現実」を踏まえて「違う」って言うのも、それは間違っていないと思います。
でも、「理想」には、それなりの「敬意」を払って然るべしじゃないでしょうか?私達が彼方のようになれないのは、殺しの才能が無いとか魔法が使えないという絶対的不能だからじゃなくて、そこまで他人のために生きられないというありふれた理由です。
それで、もし、そういう生き方をした人が本当にいたら(ありえない話じゃありません)、あの人達は同じように「そんなのは俺にとってはありえない」とぶった斬るんでしょうか?それって敬意がなさすぎると思ったんです。
それを…なるべく柔らか〜く書こうと思ったら、あんな文章になったんですよ…。