オナンの戯言

ASTATINE(4/3)に私が書いたコメントへのコメントへのコメントです。
長くなりすぎましたんでTBにしましたー。
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私には正直なところ、ニュースサイト系って「何がしたいのか判らない」部分があります。だって、確かにアクセスは集まると思うんですけど、それって、書いてて楽しいのかなーと感じます。それはもちろん私が「自分が第一の読者」と悟ってるからですけど。
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どんなレビューでも、「感想」は「批評」の前に存在するんじゃないでしょうか。私が、他でもない9791さんのコメントで面白いと思うのは「点数とコメントの内容が(意外と)一致してない」(ように思える)ところですね。私から見れば凄い大絶賛しているように思えるコメントにも、点数として「100点」は付かないんですね。
逆に『Fate』なんか、他作での引用を含め、コメント自体はあまり褒めているように思えません(失礼)。ですが「100点」なんですよね?となると、9791さんにとって大事なのは、どちらかと言えば「100点」という主観的事実。ですが、読む私にとって面白いのは、考察であるコメントの方です。
「レビューサイト」としては、どっちが欠けてもダメなんでしょう。文章にすれば、結果としての「点数・ランク」はともかくとして、「なるほど」と思わせる部分は少なからずあるはず。それが醍醐味だと思うのです。
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私はErogameScapeの数多のコメントの中でも、たった「7」のコメントにしか、「投票」してません。この前ヒマだったときに、気に入っている作品の総コメントを読んだ結果、この投票数は結局増えませんでした。自分と本当に趣味の合うレビューって、この程度の割合しかないんじゃないですかねえ?そして面白いのが、この中に、点数からもわかるように「手放しの絶賛」が無いんですね。「私は絶賛しているのに」です。
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むしろ問題は、「レビューサイトに何が求められているのか」のような気がします。「自分と同じ感想を抱くレビュアーが少ない」ことをレビューサイトの衰退と言うのなら大いなる勘違いです。
そして同時に、「多くの賛同を得られるのが良いレビューサイト」と思うのは、正解であり間違いです。「書き手」としてのレビューの醍醐味は「自分の考えに共感してくれる」ことだと思います。ですが、それは「本当に自分が感じたこと」でなければ意味がありません。自分の意見の角を取り色ムラを無くし、その結果読み手と意見が一致しても、あまり嬉しくないとは思いませんか?そっちの方がずっと簡単なんでしょうけれど。もちろん、無理に角張らせる必要も無いんですけどね。
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でも、他の方のレビューに対する意見を見てますと、「自分が如何に他のレビューを頼りにしていないか」を痛感しますね。私は何でもそうなんですが、「他の人が口に出すことを私までもが口に出す必要は無い」と考える方です。やっぱり私は天邪鬼なんですかね。