決別の予感

ライアーソフトFC会員専用ファンディスク『読参子育成計画』が届く。
とりあえず一巡してみたが…イマイチだなあ…。わざわざ読参子というオリキャラを登場させたのに、どうして過去のライアー作品登場人物を使うんだろう?
先に二次創作について延々書いたのでアレなんだが、このやり方が出来たのはせいぜい『じゃんまげ』までだと思うのだ。『腐り姫』(特に「読本」発売後)と『Forest』の二作は、こういう描き方は無理。実際、今作のライターはまたも天野だが、結局、彼の作品ではない『腐り姫』『Forest』は全然「描けてない」。まったくもって本編が「シリアス」な作品を茶化すなら、それは本編とは「別世界」にして欲しかった。
『じゃんまげ』の腐り姫登場人物達は、本編とは180°とは言わないまでも120°くらいはぶっ飛んでおり(笑)、本編の面影はさほど無い。そして、『じゃんまげ』における最大のポイントは「樹里が登場しないこと」。『腐り姫』という作品の本質を考えれば、「樹里だけは茶化してはいけない」。それは本編の否定になるから。特に『じゃんまげ』以降、『腐り姫読本』で樹里については強烈な加筆をしており、今更コメディタッチの作風で彼女を描く必要は無い。ましてや「赤い婚礼」、アレまで使うなんて言語道断。今作における樹里の描写は蛇足以外の何物にも思えなかった。
『Forest』に至っては見る影も無い。何度か書いたが、この作品は「くそ真面目」な作品なのだ。普通のエロゲーはそこまで真剣にならないので、この作品を語れば必然的に「雰囲気が浮く」。つまり…こういう風に他の作品と混ぜてFD化できる作品ではない。ま、中身を見れば、それ以前に「いかに天野がもう一人のライターの書いた作品を読めてないか」「筆力の差」をまたも露呈しただけのような気もするが。
今作にも常盤愛が登場する。『じゃんまげ』と同じ「女神の祈りエンド後」の彼女なので、本編とはちょっと違っている(単純に時が経っている)と思われるのだが、それがB2K未プレイのプレイヤーに理解できるか?(現在、ライアーの作品の中で最もプレイが難しい作品がB2Kである。)本編の愛はもっとクールで刹那的で、それゆえに純粋だ。(後記:愛の描写に関しては不満ではない。完全なエンド後の「別物語」としてこれはこれで良い。B2Kは単一ヒロインのマルチエンドという珍しい作品だから、これが可能なのだ。もっとも、その辺がビギナーに理解されるとは思わないが…。)
そう、この『読参子育成計画』は…本編未プレイのプレイヤーに本編に興味を抱かせるには決して至っていないと思う。むしろ「邪魔をしている」と感じるのである。会員向けのFDなのだから、「プレイ済みのプレイヤーに登場人物の別な一面を見せる」ということもFDの一つの存在意義なのだろうが、結局、「本編でシリアスを描いたキャラクターで笑いを取る」ことが「本編に感動したプレイヤーへ皮肉を与える」結果になっていると思うのは私だけだろうか?それは、私が二次創作を嫌う最大の理由である。
そもそも、ライターが天野なのに、人気投票で選ばれたのがメルクリウス・アマモリ・天京院・樹里と、天野作品のキャラクターが一人も居ないというのはどういうことか(苦笑)?つまり今作は、続編でも本編を継続しているわけでもなんでもなく、まさに「同人的二次創作」。第三者の視点が入るので、その視点が私の視点とリンクしないと、不愉快に感じることこの上ない。特に今回は、私がどうしても好きになれないライター=天野が書いているわけだから…。こんなモノを天野に書かせたこと自体が大間違い。これは、総括のやんばる氏の責任かと。
やんばる氏は広報担当でもあるのでOHPでもいろいろ企画を立ち上げているが、今回の「読参子企画」「四天王投票」「壁紙コンテスト」と、どうも私のウケはイマイチである。個人的な印象としては、2chを見る限り、全体でもそんな感じのような気がする。彼の企画は読者参加型が多いが、意外とライアー信者はそれを期待してないのではないか?
めておラインの作品はまさに「物語」であり、あの完成度を見れば「後付け」は要らない。彼の作品に対し、私たちプレイヤーは「与えられるものを享受する立場」になる。それを「受け身」と見るのは一つの考え方だが、それはその「完成度」ゆえなのだ。
SEVEN-BRIDGE』後に結論を出そうかと思うが、私の中で「ライアー」と「星空めてお」を区別しようかと思っている。特に、やんばる氏の代表就任以降、天野ラインの「やり方」への移行が徐々に進んでいるのを見ると…。