2chのAngelBulletスレを見て。

このサイトはそんなに有名でないと思うが、[ANGELBULLET レビュー]でググるとなんと七番目にヒットする(今日現在)。そんなわけで、この作品が「信者にはイマイチ」という評価となっている責任の一端はこのサイトにあるので、ちょっと言い訳を。
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このゲーム、プレイ中はそんなに違和感を感じなかった。
眠たくなることもなく、飽きることもなく。ただし、泣けるわけでもなく、抜けるわけでもなかった。「まあ、並よりは上だな」と思い、眠りについた。
だが私は、そこで初めて、堪らなくこの作品に不満を覚えたのである。
「ライアーの名作を終えた後ってのは、こんなモノじゃない(はず)」、と。
私は即座に起き出して、一気にレビューを書き上げた。
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腐り姫』『Forest』の両巨頭は、プレイ後にまず猛烈な衝撃を受けた。そして時間をかけて咀嚼し、作品の「意味」がわかるまで、優に半年や一年かかった。その間、レビューという形にして、何度も何度もそれを見返すことで更に考察が深まってゆく、そういう作品なのだ。私がこのレビューサイトを作ろうとしたきっかけそのものが、こうした「文章に示すことで気付く何か」を自ら得ようと思ったからである。(他者への紹介が大元の動機でないことをご理解願いたい。)
ふとした日常の一場面で、その作品の意図が実感できることは何度もある。この二作に限らずとも、私はライアーの名作クラスの作品は、数え切れないほどレビューに加筆・修正している。
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この『AngelBullet』。レビューを書いて、翌日に加筆して、それ以来、誤字や表現の見直し以外にはほとんど加筆することがない。読後感が全然軽いのである。
その理由を突き詰めると、「第二部」の説得力の無さに尽きてしまう。コメディとシリアスの融合が最大の魅力であったライアーの良さが…ってところから始まって、過去の名作との比較を考えると、もう止まらなかった。
誤解を恐れずに言えば、この『AngelBullet』は「不真面目」なのだ。第二部の急展開の根底は、「第一部をそれほど真剣に描いてない」コレなのだ。だからこそ、その全否定に躊躇が無い。そうして描かれた第二部にも、彼らの「本気の本気」が込められているとは思わない。
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私が「ライアーソフト(めておラインの意)ってどんな感じ?」って問われたら、こう答える。「何事にもくそ真面目」と。もちろん褒め言葉である。
『行殺』は新撰組の行く末に愚直なまでに甘えは無い。
『ぶるまー2000』は主人公・常葉愛という一人の少女の生き様を描き尽くす。
サフィズムの舷窓』では「恋愛」の在り方を反面的に問う。
腐り姫』では「妹」という存在に何らの幻想とご都合主義を許さない。
そして『Forest』。これが最も象徴的であろう。イメージなんで伝えにくいが、ギャグを完全に排してしまったこの作品は「エロゲーであることの甘え」をも排除し、あらゆる表現の仕方を洗練している。そして物語の根本においても、全ての登場人物はあらゆる瞬間において「本気」である。2chで『Forest』関連の話題になると、明らかに雰囲気が変わる。作品が「真剣」な以上、語る言葉も「真剣」にならざるを得ないからである。この作品が人を選ぶのは表現形態もそうだが、それ以上に「プレイヤーに対しても、"所詮はエロゲー"という甘えた見方を許さない」点にある。
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こう書いていくと、『AngelBullet』の没個性さはやはり目立つ。世間一般から見れば個性的かもしれないが、如何せんライアー作品群の中では埋没する。
無論、エロゲーは一度笑って萌えて抜いてそれでおしまいというプレイヤーの評価は悪くないだろう。だが、ライアーの信者が、そんな即物的な作品を求めているとは思わないのである。…これは信者たる私の実感だが。無論、信者と言っても様々なタイプがあるけれど。