これも レビュアーのサガか・・・・

エロゲーをやっていて、類似性を感じてしまう作品というのがある。特にこうやってレビューを書く場合、どうしても比較されることになる。その分、「劣る」と判断された作品の評価はどうしても下がってしまう。
例えば…「こなたよりかなたまで」⇔「ホワイトブレス」あたりは気付く人も多いだろう。この他にも、意外な類似点・相反性が見えてきたり。
腐り姫」⇔「CROSS†CHANNEL」。「ループ」の意味=重畳性の使い方の是非を問われた作品。ひいては、エロゲにおいて複数のヒロインをどう描くかという汎用的な問題でもある。非現実的な展開の消化の仕方についても一考。
「Forest」⇔「AngelBullet」。同じライアー作品として、だからこそ、「独自性」の意味と意義を問われた作品。二つのラインでこうも差が出るのか、と。
サフィズムの舷窓〜an epic〜」⇔「Dear my Friend」。レズという、恋愛と友情の境目の曖昧な関係を通して見えた恋愛関係の可能性と限界。そして、今のエロゲーがヒロインとのエンドを無自覚に前提としている以上、大多数の恋愛エロゲが「恋愛とは何か」という問題を見事なまでにスルーしている事実。
らくえん」⇔「天使のいない12月」。共にエロゲーというモノ自体の意味を問い直した問題作。だけど、その方法論は完全なる真逆。これらの作品の根底には共に「皮肉」を感じずにはいられない。「らくえん」の最後にあえて用意された「ぼくのたいせつなもの」、そして過去の名作という点では疑問の余地のないLeaf、その前提があるからこそ、この作品はメッセージ性を担保されている。
終ノ空」⇔「ジサツのための101の方法」。どちらも電波ゲーである。だけど、製作者の取るスタンスがこれまた真逆だと思うのだ。それは主人公の末路に象徴される。出来としては「終ノ空」の作り込みを評価したいが、「電波ゲー」というコトを考えた時には「ジサツ」の持つ「純粋さ」が光ることも事実。
数をこなすと着眼点が広がることも事実だが、後発の作品が先発の作品に劣る場合、全然魅力を感じなくなってしまうのが泣き所。特に、レビューを書くことがエロゲーの楽しみの何割かを占めている私のような人間の場合(笑)、「レビューの書きにくい作品」はそれだけで面白みが減ってしまったり(涙)。