エロゲの主人公とは

私はエロゲの主人公♂に感情移入をしないプレイヤである。過去の作品で、主人公♂で評価するのは遥彼方(『こなたよりかなたまで』)くらいのもの。
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私が、エロゲに限らず創作物の登場人物♂で、ホントに感情移入を果たしたのは、ロジオン・ロマーノヴィチ・ラスコーリニコフ(『罪と罰ドストエフスキー)だけ。
大学三年のあの日、私は「コイツは俺だ」と思った。彼の孤独・誇り・愛情・そして不安まで、いわば「私」という人間像を自覚させてくれたのはこの作品ただ一つであり、同時にそれは私の限界をも自覚させた。しかし、「ラスコーリニコフが、客観的に自己の姿を示してくれる作品に出会えていたら、彼はどんなに救われたのだろうか」という私の抱いた思いは、同時に私自身に対する救いの証であったのだと思う。
(以下、私の『罪と罰』所感http://www.geocities.jp/judge13th/h.6.renew.html)
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今の所、私はこれほどに底力を感じさせるエロゲ主人公には出会っていない。もちろん、たかがエロゲにそんなモノを求めるのはどうかという意見は正しい(爆)。
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むしろ私の場合、ヒロインに感情移入をすることの方が多いのではなかろうか。『ぶるまー2000』『このはちゃれんじ!』という女性主人公作品は躊躇いなく高評価であり、私はヒロインの独白の場面をほぼ無条件で褒める。
これは、私が恋愛ゲーを評価しない原因でもある。「ヒロインの男性主人公に対する思慕」に感情移入が出来るはずがないからである(笑)。
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実は困ったことに、この傾向は…抜きゲーにも言えたりする(苦笑)。
TWILIGHT DUAL』『檻の中のわたし』などはまさに女性一人称視点であり、ヒロインがエロに堕ちてゆく様は実に素晴らしい(爆)。私は「淫乱に堕ちてゆく」エロが最も好きであり、暴力的なレイプシーンは嗜好の範囲外になるわけだ。
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ただし、受け付けなかった女性一人称作品が一つだけある、それが『自慰倒錯』。その原因は…女性ライターであったということにあるらしい。つまり、私が楽しんでいる女性視点というのは、実はリアルじゃなくて、あくまでもフィクションなんだと。なるほどねえ。