『車輪の国、向日葵の少女』(あかべえそふとつぅ)中間感想①

(ちょっと印象が変わったので前半はまた削除しました)
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これ以後、元法学部生のタワゴト。(つーか合ってるのか、これ)
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刑法学の根底を何に見るかという学説は幾つかある。ただ、一つ確実に言えることは、刑法学が成立する前から刑罰は存在していたということだ。刑罰の起源は人類の集団生活開始と期を等しくするだろう。
罰が下されるのは当たり前のこと。それをしなければ社会の調和が保たれないことを想像するのは容易い。だがそれは、歴史的に、例えば権力の有無に左右されたり、感情や利権に左右される過剰な刑罰が与えられたりしてきた。それを、有文化し、系統だて、理論と理念として有形化したものが刑法学だ。それゆえに刑法学は、「如何にして人を罰するか」ということにさほど重きを置かない。それは立法府が手続きを踏めば済んでしまう話だから。実は、刑法学の主目的は「罰せられる者の権利を守ること」にある。

(以下、引用が不味なのを承知で)
「日本よりもおれたちの国のほうが、罪に問われることがらが圧倒的に多い。時間の使い方や恋愛、家族関係について国が大きく口を出してくる」
「怠惰や不純な異性との交遊、家庭内の間違った教育なんかは、日本でも悪とされているけど、とりわけやりすぎなければ『刑務所に入る義務』を負わされたりしない」
「それは、あの国が歴史的に恥と義理と人情を尊重していた社会であって、そういった国が裁かないような悪は、ご近所レベルで制裁を加えていたからなんだ」

この言い方は浅い。あまりに民事と刑事の境目を蔑ろにしている。「国が裁かない」はミスリード。現行の日本法学理論では、国はそれを刑罰という一方的強制的手段で裁けないし、裁いてはいけないのだ。そこを…わかってるのだろうか。全般的に、法学理論の通説を正面から乗り越えようという意図は無いのかも。
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まあ、この作品、『群青』と違って、そこまで「こちら側」に踏み込んでこようとは(影響を与えようと)していない印象。コレは「作品設定」と割り切った方がよいでしょうし、それを許容できるくらいのレベル(「浅い」という意味)なんですよね。まあ、高校生に変に誤解されても困るとは思いますけど。