ああ、カトリーナ

アメリカのメキシコ湾沿岸地域がハリケーンで甚大な被害を受けている。
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アレを見て、アメリカって国は私の思っていた以上に終わっている国なんだなあ…と感じてしまった。思い出したのは『SWAN SONG』よりも『日本沈没』(小説版)。
30年前に書かれた作品だとはいえ、『日本沈没』(小説版)の中に、混乱の中での略奪・暴行はほとんど記述されていない。あの作品の中で、日本人は「同胞」たる日本人がいつか自分達を助けてくれると信じ、繰り返す地震の中を寡黙に耐え続ける。むしろその「秩序」を頑なに維持しようとするかのようだ。一つだけ、民衆が一人を殴り殺す場面があるが、それは、血気にはやって群集に威嚇射撃を行った自衛官に対してだった。
小松左京アメリカ軍将校の口を借りて、そんな日本人の姿を「カミカゼ国民」と呼ぶ。
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アメリカで信じられないところは、洪水からたったの一日や二日で、商店からの略奪はおろかレイプや銃による武装等の事態に陥ったことだ。
SWAN SONG』では、大災害発生からしばらくの間は、かえって人々は日常のしがらみを失ったかのように、お互いに助け合って生きている。あの警官やチンピラ等、多少の例外があったとはいえ、病院に集った一般人たちは「自治会」を結成し、食べ物を共同管理し、怪我人を治療しながら生活している。最初は「自警団」すら存在していないことに注目。
そこから、彼らが武装化していく過程には、一部の人間による強奪行為による大規模な損害を被ったことがきっかけだ。基本的に、この作品の一般人は、それまで、武装を考えていない。だからこそ襲われたワケだが。
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強盗なりレイプというモノは、日常生活では犯罪に決まっている。日常でソレを行えば、即座に警察が捜査を行い、目撃者など「市民の協力」のもとに、その犯罪者は逮捕され、処罰されるであろう。
アメリカの水害はヒドいものだが、警察組織はそんなに日数を経ずに回復するに決まっているのだ。今回、レイプなり強盗を働いた人間も、そうなればある程度は処罰を受けるはずだ。『SWAN SONG』において人々がしばらくの間道徳心を失わなかった一つの理由は、まだ「世界が本格的に崩壊した」との認識が無いからだったと思う。何ヶ月も救助が来ず、そこで初めて、彼らは日本の治安機構が完全に崩壊したことを悟ったはず。そこで初めてタガが外れたはずだ。
どうしてアメリカでは、こんなに早く治安が悪化したのか。それは日常から、「警察のいない隙」を人々が窺っていた証拠である。彼は別に水害が無くても、例えば夜中の無人の公園で「警察の目が及ばない」と判断すれば、即座に犯罪に走るということだ。
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水害に対する無知、法秩序に対する軽い認識、あの程度のハリケーンであれ程の人が死んでしまう行政の認識レベルの低さ。いずれも、アメリカって国が「不幸せな国」であることを改めて実感させてくれた。
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とはいえ、『日本沈没』(小説版)から30年が経った今、日本人はどう変わったのだろうか。アメリカのように、なるのだろうか。誤解を恐れずに言えば、『SWAN SONG』という作品は、30年前なら「在り得なかった」と思うのだ。