意見と利権

なんで自民党は言えないんだろう。「あなたの街の郵便局は無くなります」と。
コレを言わないと、意味がない。「郵便局を残したまま、財政の健全化を図る手段はありません。郵便局は無くなりますが、それが日本の未来に向けて一番良い姿です」と言わないと、意味がない。
有権者への効果としての心配はわからなくもないが、むしろその方が「あなたの街の郵便局は残します」という主張の、意外な(?)説得力の無さがかえって目立つと思うんだけど。「どうするか」という一番難しい問いは、むしろ民営化反対派の方に突きつけられるのではなかろうか。
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今回の選挙、都市部では民営化賛成論が強く、郡部では反対論が強くなる…のだろうか。だとしたら、悲しい。日本全国どの断面を切り取っても、統計的誤差を除いてその比率は等しくなる…というのが本来的な姿であるはずだ。これは「国政選挙」なんだから。
なんでそうならないのか。その偏差を生んでいるのは何か。それは利権だ。郵便局が無くなる可能性の高い地域・低い地域、郵政民営化による何らかの影響を受ける立場かそうでないか、それで、「個人の考え方」が変わる。そしてそれはおそらく、「自分の得する方」に傾くからだ。
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これって悲しいよなあ…。
だって、マクロ的に見て、都会の人は「田舎の人は大変だろうから、郵便局は残してあげるべきだ」って思わないし、田舎の人も「都会の人に負担を強いるわけにはいかないから、自分達は我慢しよう」って考えてないってことじゃない?
結局、集票は「利権」なのかい?それが「金」なのか「利」なのかに違いはあれど、所詮有権者なんて、そんなモノなのかい?
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こなたよりかなたまで』って作品がある。
この作品は「"他人のために生きる"とは?」という強烈な問いを投げかける作品だった。しかしこれを、「主人公の生き方は現実には在り得ない」と言う人の多さに私は正直、驚いている。だって、彼方の生き方は単なる「選択」の積み重ねであって、主人公が殺し屋とか魔術師とかっていうエロゲを何作をプレイしているはずのエロゲプレイヤーが何を言うの?って感覚があった。
彼らにとって「他人のために生きる」ってことは、正否はさておき、殺し屋とか魔術師よりも、リアリティが無いの?