余計な?一言

前に日記で書いたことの反対なのですが、『Fate』の第二部で、アーチャーや凛がこぞって士郎の「理想」を「借り物」と言うじゃないですか?
私は、プレイしていて、これが全然「理解できなかった」んです。「何を言っているのかわからなかった」って感じです。
この士郎の生き方を「間違っている」とストレートに思う人って多いんでしょうか?「他人の為に生きる」ことは「真実の思いじゃない」ですか?
…こう考えると、やっぱり『こなたよりかなたまで』の遥彼方と、第二部の衛宮士郎は似ていると感じます。この二人は、「他人の為に生きる」人間です。その結果、「自分」が滅びようと、それを本望と考える人間なんですよ。
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私の率直な思いとしては、「それを否定したくない」って部分があるんでしょうね。それは「理想」として、「存在して欲しい」と思うんです。だから私は、『こなかな』のクリスシナリオを見てもなお、あそこまで執拗に佐倉シナリオにおける彼方の生き方を「否定したくない」んです…。
凛のように士郎の生き方を正面切って否定するのは最もバランスの取れた生き方なのかもしれません。確かに、常人にあの生き方は不可能なのかもしれません。ですがそんな「結論」は、逆に「残酷」のような気がします。他人の為に生きる、他人の為に生きてくれる人がいてもいいじゃないですか?そうは…思いませんか?