一億総ヲタ社会は実現するか

最近…ちょっと思うコトがありまして、反対意見を必至で書かせていただこうかと。
覚悟を決めた上でどうぞ。
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私は『らくえん』をプレイして、自分がエロゲヲタに染まっていたことを自覚しました。私はアニメを見ませんしフィギアも買いませんが、エロゲに関してはヲタだと自己分析しています。
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さて…ヲタって何なんですかね?
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そこに、偏執的な趣味が在ることは疑いがありません。私の世代の人間が、普通なら足を踏み入れないような世界にハマってしまった人間です。そう、私は普通じゃないんです。自分で自分を普通じゃないと認識しています。でもそれは、私には私の価値観があり、それを突き詰めていった結果、他人と違う地点に辿り着いた、そういうことだと思っています。
どんなヲタでもそうですが、ヲタの美点は、自分で価値観の取捨選択をしているコトです。
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世の中の流行だから自分も手を出そう、それは価値判断ではありません。もちろん、多数の人間が認めているモノを自分も認めること自体は在り得ます。ですがそれは、「多数の人間が認めているから自分も認める」のではなく、「モノ自体がイイから自分が認める」、そう在るべきです。たまたま、多数の人間が認めたモノが、自分にとってもイイモノだった、ただそれだけのことであるべきです。
「ヲタじゃない」人間は、意外とこの落とし穴にハマっているような気がします。私も、流行から外れないコトが素晴らしいと勘違いしていた中高生時代があって、その時はそんな感じでした。
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もちろん、全てのコトに価値判断をする労力は大変です。例えば「どこの生命保険に入るか」なんて些細な問題を、全生保会社の契約について詳細に調べて「自分の価値判断」をする必要があるとは思いません。そこは、他人の評判をある程度参考にして、それに乗っかっても良いはずです。統計的に、他人の評判の良いところは自分にも良いことが「多い」ですから。
ただし、もちろん「全て」では在り得ませんし、その結果に対する責任は「他人の評判」ではなく「自分」なんですが。
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もし、ヲタでないと自覚するライトユーザーだったら?
そのときは、先の生命保険のような選択の仕方でも良いでしょう。ただし、責任はもちろん選択者にありますし、何より「本当に理想の生命保険」にめぐり合える確率は下がるはずです。それだけのコストをかけていないのですから当たり前です。
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私には、「ヲタ」を自覚する人間が、「他人の評価」を仔細に気にするのが理解できないんですよ。
他人がどう評しようが、それは「価値判断」です。それをするがゆえに「ヲタ」なんです。
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「ヲタ」とは本来的に「結果」では無いと思います。「過程」です。
人は、誰もが「ヲタ」であるはずです。誰しも、一つは自分にとって譲れない分野があるはずだからです。そこにおいては、誰もしもが「自分の価値判断」をしているはずなんです。それに心当たりが無いという生き方は、ロボットの生き方だと私は思います。もちろん、価値判断の結果、他人と差異の無い結末に行き着いている人も多いんだと思いますが…。
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もちろん、人の心なんて不安定なモノで、自分の価値観が世間と離れると不安になります。
私のエロゲの話に戻れば、『こなかな』や『家飛』の世間的評価は、自分では納得がいかないんですよ。しかしそれは、逆に考えれば、それだけ世間と対極にあってもなお、自分の「価値判断」が揺るがなかった結果だとも言えます。なので、そこで「他人の評価がおかしい」というのは、本来的ではありません。基本的には、「自分の中での価値判断を確固たるモノにする」ということが最終目的ですから、その良さを他人に伝えようとするコトはともかく、他人の価値判断を否定しても何も起こらないとは思いませんか?するのなら、肯定的な言葉で「説得」するべきです。出来ることはそれだけのはずです。
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具体的な話をすると、ErogameScapeの得点論争は、「ヲタにとって」ナンセンスです。
「平均点が85点、これは面白そうだ」ってのは、ヲタの価値判断ではありません。それはただグッチであるだけの財布を持って悦に入ってる奴と何も変わりません。悲しいかなこの世界に深く入り込めない一般人の姿勢です。
あのサイトの最大意義は「コメントが残せること」および「ユーザー制により、得点者の傾向がわかる」ということです。私の場合、コメントで目星をつけて、そこからユーザーを検索します。最高得点の作品が何かを見ます。いわゆる「世間的名作」にどんな点を付けているかを見ます。それだけで、その人が「ヲタ」か「そうでないか」は大体わかります。そうして、その評価自体の重軽を判断してます。それくらいしないと、「自分」の価値判断の参考になりません。他のエロゲレビューの見方もだいたいそんな感じです。
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ヲタってのは自分勝手なんですよ。「自分が正しい」と言い切れるのがヲタの「在るべき姿」なんですよ。他人の意見など、否定することに意味はありません。そんなモノはどーでもいいのです。そうは思いませんか?
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もちろん、その果てに在るのは価値観の果て無き相対化です。
そして、私達の社会に「守るべきルール」がある以上、それに反してしまう危険性があることも事実です。不特定多数の他人として考えるなら、それは「無難」な価値判断をしてくれた方が「害が無い」のです。それゆえに、「自分独自の価値判断をするヲタ」には反社会的な香りがするのですよ。
だからこそ、シャカイのオトナは、「彼らの価値観」を押し付けてきます。それが当たり前なんだと洗脳してきます。その方が、「彼ら」にとって都合がいいからです。
でもそれは、「自分」が「無難」にする理由にはなりません。せっかく、エロゲというジャンルにめぐり合ったんじゃないですか?もうちょっと、「自分勝手」に考えてみませんか?それは他人の世界に足を突っ込むのではなく、「自分を大事にする」という意味ですが。もちろん、不用意に他人の庭に踏み込めば、噛み付かれます。
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駄文失礼しました。