以下、『ゆのはな』レビューを書くにあたっての私的覚書

  • ErogameScapeを見る限り、この作品は「普通の物語」と単純に評されているようだ。私が言うのもなんだが、これが今一つ気に入らない。大抵は肯定的な意味合いで使われているようだが、この作品くらい「普通」の場面を描くには相当の筆力が必要だと思う。そういう意味で「普通じゃない」。
  • 「日常」の描写。わかばシナリオの前半は毎日毎日起きてから寝るまでを欠かさずに書くのでなんとも冗長。しかしこれが、椿シナリオでの「丸谷秀人の主張」の下支えとなっている感がする。「華の湯」で働く主人公は、これでもかと「善行」に励む。朝から晩まで、コイツが「イイ奴」であることは絶え間なく目にすることができる。3/27の日記に書いたように、私はこのライター自身が本当に「イイ奴」なんだと思う。だからこそ、彼はここまで突っ込んだ善人を書ける。普通の奴なら、ここまで「想像が及ばない」のではなかろうか。
  • 椿シナリオの意味。この手の描写は『らくえん』で経験済み。かの作品が、純粋な創作意欲だけでなくもっともっと黒い面も含めて書き上げたのに比べれば、やはりちょっと見劣る。このライターが本当に「書くのが好き」だってことは充分に伝わってきたけれども。言わば、「俺は登場人物にハッピーエンドを与えてやりたい」という丸谷秀人のシナリオ論である。これが肯定されるのは、先に述べた日常描写の中で、主人公の人柄がクドいほど表現されているからだ。実際、第一部の印象としては「描写がクドい」のだが、このためだったと考えれば納得もいく。そして、こうやって「製作者視点」を表に出すと、読む私達としては、素直に感動できなくなる時がある。それは、「自分達が作りモノに感動させられている」ことを意識させられるから。しかし、この作品はそれをも肯定する。他でもない主人公こそが、ゆのはの嘘兄妹設定話にわかっていながら何度も泣かされるのだから。繰り返すが、あの「クドさ」はここでも生きている。あの姿を客観的に見せられているからこそ、このエンドは成り立っているのだ。
  • エンディングとゆのはな町。この作品のエンディングで、「ゆのはな町に残る」というエンドは一つもないと言ってよいのではないか。椿シナリオは、椿が執筆の合間に東京へ行っていることが明言されているし、彼女の立場上、特にゆのはな町への愛着は表現されていない。このライター陣の書く「雪」の描写は、リアル雪国に住む私から見れば、全然雪というモノをわかってないと思わざるを得ない。しかし、だからこそ、私はそこに好感を覚えた。この作品のライターは、雪と同様に、この程度の過疎町村に住む実感も無いのではなかろうか。となると、ゆのはな町に残るエンドに何らの説得力は無い。だって彼らは郡部ではなく、都会に、おそらくは東京に住んでいるのだから。そう考えると、わかば・穂波のエンドの姿は、「東京に生きる者」の実感なのだ。彼らが実に地の足のついた結末を与えていることに気付くだろう。だって、この手の設定と登場人物からすれば、ゆのはな町に残る方がずっと描きやすいはずだから。
  • そして、「ゆのはな町を旅立つこと」を肯定し、同時に「ゆのはな町を否定しない」絶妙なバランスを持つわかばシナリオ。このシナリオが最も好き。このシナリオは何せ「何の事件も起きない」。これが並のライターなら、おそらく、「何も書けない」と思う。それくらい「平凡」な日常の中で、日々のほんの僅かなコトに気付き描写してゆく様は、このライターの底力を感じさせた。そして、このシナリオは他でもない「冒険物語」なのだ。そう、「冒険」には何の設定も空想も要らない、「それは何処にでも転がっているモノ」なのだから。最初はなんとなく華の湯の跡を継ぐと考えていたわかばが旅立ってゆく様、そしてそこへ至るプロットは素晴らしかった。今作のMVP・それは間違いなくみつ枝さん。
  • ただそう考えると、ライターの変わる穂波シナリオに不満が見えてしまう。比べると、こちらの方が明らかに「事件」に頼っているのがわかる。代わりにこのシナリオは「エロ」にかなり力を注いでいるのだけど、このブランドの前作が『お願いお星さま』というエロを消化しきった作品だったことを考えると、このシナリオにおけるエロの位置付けは物足りない。
  • 最終ゆのはシナリオ。これもちょっと不満。それは私が、わかばシナリオにおける「何も起きない日常の描写」に惹かれたからかもしれないけれど。ついでに言えば、このシナリオが最も「エロの始末が悪い」。いっそのこと完全に60年前に戻るくらいの勢いでも良かったような気がする。あと、なぜか、あのラストシーンは「行くならメキシコだろ」と思った。なんとなく。

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あー、ここまでだらだら書き連ねてきたら、何とかレビューが書けそうになってきました。