モノを作る(社会人として)

もうすぐ、学生をやめて丸四年になります。
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12月から始まった仕事も、今日でようやく一次締切です。あとは第二案の作成まで、周囲の評価待ちという状態になります。
とにかく、「モノを作るって難しい」というコトを実感したプロジェクトでした。
今回の作ったモノはハードではなく、ソフトです。ですんで、研究とか技術の面の要素は弱く、いわば「頭勝負」の仕事でした。チームは6人+2人。私が入社年度・年齢ともに最も若かったです。
生まれて初めて、「頭のドアを開きっ放しにする」という状態を味わいました。とにかく考え、それを形にすることの繰り返し。アイデアは断片的に浮かびます。それを書き留め、形にし、取捨選択を何度も何度も繰り返します。形にしたら、整合性の判断と細かいデバッグです。
この仕事は私がやらなければ他の誰もやってくれません。出来ません。ですので、勤務時間も何も関係ないのです。どうせ有給休暇は余ってますんで、終わったら消化するだけ。終わらなかったらなんて発想自体許されません。完成させなければならないだけ。そのプレッシャーはすごかったです。
期間中、仕事の夢は何度も何度も見ました。体調を崩して寝込んで、頭ぼーっとしている中でも、気が付けば仕事のことを考えていました。「これではいかん」と思いつつも、気が付いたら無意識的にそうしている、そしてそれを打ち消す、の繰り返し。これがまた、夢の中で何かを思いついたりするのですよ。ところがもちろん夢ですんで、「思いついた」ということだけは覚えていても、「何が」まで覚えてない。何せ夢の中のことなので、おそらくはしょうもないことなんだろうけど、それでも思い出せないことに苛立ちと疲労を感じたり。…今から思えば、私はけっこう参ってたんですかね。
期間的な限界もありました。もし締切がなければ、もっともっと煮詰めた最高のモノを作ることが出来た自信はありますが、メンバーが本来業務を抱えたままこのプロジェクトに取り組んだ以上、そうはいかなかったのです。まさに、「締切から逆算し、そこに間に合うだけのモノを用意した」に過ぎないのです。
人間的な辛さも感じました。基本的に担当で六分割して作りましたが、その中の一担当と基本が重複する箇所がありました。基本は同一ですから、二人が用意するモノを並べなければなりません。最初は完全に別々に作りました。後から良い方に合わせれば良いと思ったからです。ですが…私がどんなに作っても、もう一人がついてこないんですよ…。もし私が年長者もしくは同輩なら、「このレベルまで作れ」と言ったかもしれません。
でも私は言いませんでした。妥協しました。私が年代的に一番の若輩者だったこともありますし、上記のように私も充分に疲れていたこともあります。
たぶん、今回のこのプロジェクトで、そこそこのモノは出来ました。私の分担の所の出来には自信があります。ですが、「もっと良くできた」ということは強烈に思うのですよ。他の人のところが、「ここが足りない」ってのはわかってるんですから。そして自分の担当したところも、他の分担箇所と比べて全く遜色ない自信はありますが、コレに絶対評価を下す時に、決して満点は付けられないと感じるのもまた事実なのですよ。制約上削ったアイデアも数多いですし、他担当との議論の中で時間中に結論が出ず泣く泣く取り下げたところもあります。このサイト的に評価するなら、せいぜい「B(佳作)」程度。
このプロジェクトに直接関わってない人が結果を見て、それを褒めることがあるんです。これがまた、お世辞の方がよっぽど嬉しい。足りないコトはわかってるんだから。これが足りないコトをわかっていないのなら本当に悲しいから。これが、私の本気の本気のポテンシャル100%だと思われるのは嫌だから。
ああこれが、『らくえん』の美柴可憐が「褒められても貶されても無視されても、けっこうこたえるからねー」と言った実感なんだな、と。予算的にも技術的にもどうしても限界が生じる以上、作ってる方には絶対に「完全な満足」の出来る作品なんて作れないのですから。
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たぶん私が仕事を続ける間、ずっとこの苛々しさを抱えることになるのだと思います。「理想」は「見える」のです。ですが、それに輪郭を与えることは、トンデモなく難しいのですから。そして意外と、それが為し得たときに評価されなかったり、逆に自分の中で大したことのないモノが大きな評価を受けることもあるでしょうから。
誰が何と言おうと、「理想」を「形」に出来ないことは私の責任です。少なくとも、私の作った「形」は無意味ではないし、思い上がっているワケではないと思いますがたぶんそれなりに評価されるのだと思います。ですが、これは、全然駄目なのです。誰が何と言おうと、駄目なんです。