もうこれで最後にするから

SEVEN-BRIDGE』について。本当に最後のつもり。
私が許せないのはこの作品のエンドロールなんです。
あれはどう見てもフランスですよね。今とほとんど変わらない姿に復興しています。わざわざ登場させたんですから、シャルル・ド・ゴールが関わっていることは間違いないでしょう。この作品は「ユグドラジルが消滅し、世界は再び元の姿に戻った。そこに人々は戻り、幸せは訪れた」という立場に在るように読めます。そこには、キリスト教徒だけでなく、ムスリムやインド人の姿も見受けられました。全ての人が穏やかに微笑むことの出来る世界でした。
素晴らしい世界です。では一方、私達が辿ってきた歴史ではどうだったでしょうか?そして、私達が生きるこの現代は?
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第一次世界大戦は、英国・フランス等の西欧連合国と、ドイツ・オスマンという東欧枢軸国との戦いでした。『SEVEN-BRIDGE』では、戦火が広がる前に黒死病で弱体化した連合国を前に、ドイツ(プロイセン)・オスマン側に勝利が転がり込んできた設定を取っています。
実際の歴史では、連合国が勝利を収めました。その結果、ドイツを始めとする旧枢軸国には多額の賠償金が課せられ、「トランク一杯の紙幣でパンを買う」ほどの強烈なインフレに襲われた事は有名です。なんでそんなことになったかというと、「戦争を吹っかけてきてあれだけの被害を与えた奴らにはその報いを受けさせるべきだ」という西欧世論があったからでしょう。この感情は、ある意味当然の感情です。
SEVEN-BRIDGE』エンド後は、この流れになるはずなんですよ。欧州を滅ぼした「人間」に対する「復讐」が必ず始まるはずなんですよ。それは、ゴーレムの担い手たるユダヤ人に対して。異教徒であるイスラム教徒に対して。そして、欧州でありながらオスマンと手を組んだドイツに対して。
第一次世界大戦も酷い戦いでしたが、『SEVEN-BRIDGE』ほど欧州に被害を与えていません。それでも第一次大戦後のドイツは欧州中から恨まれ、そして、その反動で、国粋的・民族的なカラーでドイツ国内の支持を集めたナチス=ドイツ政権へと繋がっていくわけです。
おそらく、『SEVEN-BRIDGE』後のドイツは、実際の歴史以上の怨嗟の声を浴びることになるはずです。そしてそこから、ナチス以上に自国民を統合する「象徴」が必要になることも想像できるのではないでしょうか。
そして現実世界では、二回目の世界大戦が起こりました。ドイツはフランスを占領しソ連へ攻め入りましたが力尽き、アメリカ参戦の前に敗北します。昔、NHKで当時のパリ解放の映像を見たことがあります。そこに写る人々の歓喜の声のすざましさ。その中心にいたのがドゴールなわけです。ですが同時に、映像はナチス=ドイツに協力的だった人物をつるし上げる民衆の姿をも残しています。繰り返しますが、『SEVEN-BRIDGE』後はこんなモノではなかったはずです。
敗戦後のドイツは、第一次大戦の時のような散々たる扱いを受けないようにも見えました。その一つの理由は、「一つの国を追い詰めることの危険さ」だったのだと思います。それは第一次大戦から第二次大戦を経なければ人類が得ることの出来なかった教訓なはず。
そしてもう一つの理由、それが「米ソの駆け引き」です。二大超大国アメリカとソ連が、ドイツを半分にし、自分の側に引き込もうとしたからこそ、ドイツは必要以上の崩壊を避けられたのであり、同時に民族分断の悲劇を招いたわけです。
それは、民族分断こそ避けられたとはいえ、同じ敗戦国・日本にも言えることです。アメリカはソ連に対抗する為に日本を利用し、それゆえ日本は致命的崩壊を免れました。アメリカが太平洋戦争前に目をつけていたフィリピンが、日本統治下での荒廃ゆえに見放されたのと対象的です。
強大な勢力が消滅し、そこに空白地帯が生まれたら、そしてそこが超大国に挟まれたら、その地域は覇権闘争の場となるのです。それが歴史の法則だったんです。…「ユグドラジル」という超国家的存在が一瞬にして消失したら?アメリカが、オスマンが、黙って難民の帰還を指を咥えて見ていたとでも?
そして、東西冷戦は50年続きました。互いが互いの持つ、人類を何度も滅ぼせるほどの核の力を抱えて向かい合うジレンマを続けてきたのです。そして…その片割れが自己崩壊し、そのにらみ合いが解けたことで、ここ10年(たった10年です)、人類は平和的状態にあります。とは言っても、唯一の超大国の存在が、もうそろそろ、疎ましく思えてきた頃です。
そしてもう一つ、先に私の言った「平和的状態」が、アメリカおよび欧州についてのみ言えることであったということです。イスラム世界は、オスマン=トルコの衰退後、ついに力を取り戻せませんでした。「核」を持たない彼らは、「冷戦に加わることすらできず」、イスラエルに土地を奪われ、半分以上は自らが蒔いた種とはいえ、欧米諸国の強い干渉を受けています。同時に、石油資源が次々と流れ出してゆく様を横目で見ながら…です。彼らは今もなお…欧米との「同化」を徹底的に拒み続けています。
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未だに人類は、『SEVEN-BRIDGE』のエンドで描かれた"世界"を構築できていません。
それが理想だと、この日本の誰もが思うかもしれません。しかしそれは、私達と経済力で大いに劣る民族からすれば「優越者の戯言」にしか思えないのではないでしょうか?明日から世界が平等な社会になるのなら、現在経済力で優位に立つ日本人は、相対的に貧しくならなければならないはずで、私達はそれを想像してませんし、そこまでの覚悟も無いからです。
あのエンドロールを「理想」として描く気持ちは、わからなくもないです。ですが、あれを見て私は「どうして私達はこの世界に到達できないのだろう」と思いました。そして、それを考えたら、先進国に生きる私達の足の下にある性(さが)を意識せざるを得ないんですよ。今の私達は、上記のような歴史を踏み台にして今を生きているんですから。
現実の私達の姿の汚さを声高に叫ぶのは構いません。しかし、それを洗い流すのは、トンデモなく難しい所業だと思うんです。たぶん…無理です。
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で、問題は、このエンドロールを描いた人が、そこまで意識しているのかってことですよ。上の私の書いた「歴史」は、中学校の歴史とニュースの範疇の話ですから。
もしあれを、「意識せず」に描いてしまったのなら、私はその人の感覚がちょっと怖いです。「自分のイノセンスを信じている」ところが、です。
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もし、このテーマを本当に(もちろん全部は無理ですが)消化できていたら、トンデモない作品になっていたとは思います。人類の誰もなし得ていない事ですけどね。