二次創作論

私は最近になってようやく「とらのあな」へ足を踏み入れるようになった(苦笑)。ただし、そこで購入するのはせいぜいオフィシャルのサントラやドラマCDくらいのもので、肝心の同人誌を買うことはまず無い。
私は、この「二次創作」があまり好きでないのである。
理由は簡単。本編を参照していない(と思われる)作品が多いから。
同人誌の大多数はエロである。非エロ作品をエロにしてしまうところがその最大の存在意義なんだと思うが…。
まだ、絶対にエロを描けない全年齢対象にエロを追加しようとするのはわからなくもない。中には、全年齢対象であるばかりに、エロがどうしても描けないという制限に苦しむ作品もあるわけで、そこを同人で補完してやることに意義は在る。だけど…同人の大半って、そこまで考えてない。「その作品にエロが必要か」の考察が無く、ただ欲望の赴くままに描いているのが本音だろう。だからこそ、「エロゲーにエロを追加する」なんてコトが起こる。
それは一見健全(?)なようで、実は全然健全じゃない。
エロゲーで「どこまでエロを描くか」はその作品の表現の上で重要なのだ。私は『CLANNAD』を酷評したが(爆)、エロゲーが「恋愛の過程」の描写に回帰した分だけ非エロに回帰したいう、その方法論(たぶんそういうことなんだよね?)自体は決して悪くないのだ。
質的に量的に「描けるにもかかわらず、エロを描く必要が無い」作品にエロを追加することは、そのエロゲの「作品性」への否定である。それだけ、その同人作家にとってその作品は「描写不足」ということだ。逆に言えば、そんな本編にはさほど価値は無い。
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以上が一般論である。
では…他でもない「TYPE-MOON」にも、同じことが言えるのだろうか?彼らの作品は、今も昔も、最も二次創作の多い作品である。
月姫』にせよ『Fate』にせよ、その二次創作では本編のエンドは見事なまでに「無視されている」。この両作品には共に明確な「終わり」が描かれているにもかかわらず、である。
もし私が製作者なら、不満に感じると思うのだ。「自分の創った物語」を否定されているのだから。しかし逆に、あれだけの数の派生が在るということは、登場人物への評価である。ならば許せるか?それがエロであっても?
この辺、TYPE-MOONの製作者の思いは今一つ見えない。「同人上がり」の一言で、同じ同人作家を許せるほど、彼らは仲間意識を抱いているだろうか?私には、同人であれ商業であれ、「オリジナル」と「二次創作」の壁は高いと思うのである。
同人時代に製作した『月姫』に『歌月十夜』というオフィシャルファンディスクがあることを考えると、彼らは反響を喜び、認めていたのだと思う。でも、それは『Fate』でも同じなのか?なぜ彼らは「商業化」したのか?なぜ、この作品にセイバーを殺すほどの「結末」を用意したのか?…ここまで行くと私の考え過ぎだろうか。
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そもそも私は「愛着を持ったキャラにエロを必要としない」人間である。だからこそ、二次創作が嫌いなのかもしれない。
あと、端的に言えば同人誌はコストパフォーマンスが悪すぎる(爆)。
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こんなことを書いた5分後に、私は『Fate/hollow ataraxia』発売の報を聞く。ああ、そうなんだ…。_| ̄|○