本音

私は私のことを「善人」と評する人間を信用しない。私のモラルの低さは自分で承知している。そうでなければ、誰が『罪と罰』のラスコーリニコフに感情移入するものか。私が一線を越えるのは、非常にあっけないモノだと思う。(たぶんそれで、いいだけ後悔して悩むんだろうが。)もちろん、同時に、それなりに「不義」を許さない「誇り」をも持っているんだろうけど。