土曜九時のドラマに何を望むか

女王の教室』の再放送を見てた。ドラマを「見た」こと自体が久しぶりだなあ…。
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私的には、このまま作って欲しいなあ。変に「ドラマ性」を使わないで欲しい。
あの先生が、意外と「子供向け」に話しているという伏線は示されているはずだ。わざわざ個人的趣味とは関係無さそうなゲームやディズニーランドの話を出している。つまりこの先生は、自分の鬱憤を晴らそうと自分の言いたいことをただ言っているワケではない…という伏線だと思うのだが。
だからこそ、安易な展開はやめて欲しいなあ…。この先生を、善人・悪人の二元論で描かないで欲しい。この作品は、「場面」を描けばある意味それで成功で、「話の結末」は必要としない類の話のような気がする。(いつもの私と反対のことを言っているが。)
この作品は、一般的な「いい先生」の立場も切り捨てたし、日和見主義と前例主義も同様。それは「教師にとって」楽なのだ。そして、「親」もあっさりと切り捨てた。
だが、これらの点についてあえて言うなら、「否定」するのは楽なのだ。例えば、この先生の舌三寸に本当に騙されなかった母親が一人いたら?この学校の教師は誰も正面切って反論しないが、それをする担任がいたら?
その辺を「如何なる言葉で肯定するのか」。これはトンデモなく難しいだろうが、そこが魅力になるのだから、妥協はして欲しくないと思った。自分の意見と合おうとも合わなかろうとも、それがこのドラマの存在意義となるだろうから。
わざわざ、エンドのところで、製作風景を出しているところが、「この作品はフィクションですよー」って使い方だ。これが行き過ぎると、興醒めするからなあ…。特に、エロゲはおろかコンシューマよりもメジャーなTVドラマという世界だからこそ、更に尖らせることを期待したい。とりあえず、「創作精神」には敬意を払う私は、こんな"普通でない"ドラマを用意したところに、意気込みは感じるのだから。
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私的な話をすれば、昔の嫌な思い出など、後から振り返ってみれば教訓を感じるモノだ。昔、一人旅の旅先でサイフを失くした私は(笑)、それ以後、サイフを持ち歩いているかを常に確認することになった。
おそらく、この先生は同様の経験をもたらすだろう。替えの筆記用具は欠かさないようになるだろうし、休み時間のうちに前もってトイレに行っておくことになるだろう。それは「現在」ないし「未来」の自分にとっては明らかに有用であるはずなのだ。むしろ「楽しい」思い出ってのは、イメージだけが残って、具体的なモノを何も残さないことが多いから。
もちろん、将来がどうあれ、私は進んでそんな体験をしたいとは思わないけれど。
以上、肯定とも否定とも取れない一般論に近いお話でした(笑)。