Webに生きる一人格として

あんなのメじゃないのが来ましたので、ちょっと声を大にして書かせていただきます。

総務省は27日、自殺サイトなど「有害情報の温床」ともいわれるインターネットを健全に利用するために、ネットが持つ匿名性を排除し、実名でのネット利用を促す取り組みに着手する方針を固めた。匿名性が低いとされるブログ(日記風サイト)やSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サイト)を小中学校の教育で活用するよう求め、文部科学省などと具体策を詰める。
今週初めに発表する総務省の「情報フロンティア研究会」の最終報告書に盛り込む。
国内のネット人口は増加する一方だが、匿名性が高いために自殺サイトの増殖や爆弾の作製方法がネットに公開されるなど、犯罪につながる有害情報があふれている。総務省はそうしたマイナス面を排除し、ネットを経済社会の発展につなげていくためには、実名でのネット使用を推進し、信頼性を高めることが不可欠と判断した。
共同通信

背景と意図が最後まで読めないが…ふざけるな。
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>ネットが持つ匿名性を排除
総務省の担当者がブログやサイトというモノをわかってないことを露見している。
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実名では書けないことなど、沢山あるに決まっているだろう?それは不健全なコトだけじゃない。例えば、モノを作る(社会人として) - Judgeの華麗なるエロゲ生活この日の日記、コレ、実名で書けるワケないじゃないか。私はサラリーマンである以上、こんな見方によって「弱み」とも取れるコトは、書けないのさ。じゃあ、チラシの裏に書いていればそれでいいか?そうじゃないからこそ、ブログや個人サイトで書くんだろう?
こんなコトはいくらだって在る。例えば先のあの論議にしたって、社会の大勢が「非」という意見を実名挙げて述べることなんて、できっこないのさ。それは、論そのものの是非というよりも、社会には未だに何も考えず反社会的通説をただ否定するだけの人間が大勢いるからさ。それは「匿名」だから出来るモノだ。そしてその場で自ら考え、他者の意見を参考にし、自分の考えそのものを固めてゆくことにこそ意味があるのだ。「実名」という縛りの中で、それが出来るのか?
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小中学生が実名で書くブログなど、意味が無い。だって、それは普通に面と向かって話すかネットを通じるかの違いでしかない。ブログとはそんな陳腐なモノじゃない。人が持つペルソナを「表」「裏」の二極とは別に、もう一つの人格を形成できる場だ。それが人にとってどれだけ大きな意味を持つと思う?エロゲサイトを運営するこの私は、これこそがブログないし個人Webサイトの最大の価値だと思う。
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私はWeb上で「Judge」と名乗り、逃げも隠れもせずサイトを運営している。自分で書いたことに対してはそれなりの責任があるだろうし、読んだ人が反論を加えることがあるのは当たり前だ。だからこそ、この個人サイトには掲示板があり、この日記にはコメントを加えることができる。このサイトは書き間違い等の特殊な場合を除き、いかなる書き込みをも削除しない。もちろん反論することはあるけれども。私は「実名を晒していない」が、「匿名」では無い。こんな区別もできないようでは終わってるぞ、総務省
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言うまでも無く、世論とは匿名だ。特定有権者の投票結果を公表することは憲法違反である。実際に実名を出して投票を行ったり、政治的意見を述べるとしたら?それは、投票行為や無記名世論調査への参加とは段階が全然異なるはずだ。匿名であれば、好き勝手にすればよい。それで彼の責任を問われることは無い。だが、実名であれば、「そうするためには何が必要か」という現実的な認識が問われるはずなのだ。
私は、「だからこそ匿名意見が重要だ」というつもりは無い。逆で、「世論とは2ch論議と同様の価値しか持たない」と言いたいのだ。それを重要と考えるかどうでもいいことと考えるかを判断しなさい、総務省
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総務省が念頭に置いているのが2chであることは想像に難くないだろう。私は何度か書いているが2ch擁護派だ。
特に私のようなエロゲヲタをやってると痛感するのだが、2chというのは、それこそ日本人1億2千万人の中で本当に深化した数人で話が出来る場だ。ああいう形式以外でその深さを得ることのできる場があるというのなら見せてみなさい、総務省。そんなことも想像つかないとすれば、それはあなた方の"段階"が浅い証拠だ。
ある事件が発覚するより前に、2ch上で発覚するケースは少なくない。それを通報するかはまた別の問題だが、それはある意味、「社会に流されるニュースよりも深い世界が見れる」ことの発露だと思うのだが、どうだろうか?
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>犯罪につながる有害情報があふれている
まず、ネット以外の世界において、「有害情報」とやらはどれだけ流れているのだろうか?総務省はネット世界の奥深さとその中における「有害情報」の含まれる割合を考慮した上で、こう語っているのだろうか?
一般人がどうやって爆弾の使用法をネットで検索するか?普通は検索エンジンで探し、そこからリンクを辿るだろう。つまりそれは、誰にでも見えることだ。それを警察組織が追い切れないことに技術的な問題があるとはいえ、「ネットの責任」ではないということは当たり前だ。「警察は人的・資金的・技術的に限界があり、申し訳ないがネットの匿名利用を制限していただけないだろうか」と頼み込むのが筋だろう?それを受け入れるかは別問題だが。
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「正しいこと」というのは、世間に漂う数え切れないほどの考え方の中から、自ら選んでゆくことだ。総務省の中に、その辺の考え方が全く見られないのは実に失礼な話だ。「何が正しいか自分で考えなさい」なんでそう言えないのだ。間違っている(と思われる)ものを見たからと言って、影響されるのが当たり前だなんて教育をするんじゃない。「正しくないもの」を見たら、自ら拒否すればいいのだ。そうすべき価値観を教え込むことが「教育」じゃないか?自分の意図と違う方向に進みそうになったら?そのときは彼を説得しなさい。それが出来ないのはあなたの責任だ。
その結果に、「犯罪」というエラーが出るのは確率論的に当然の話だ。そこを否定するのは人間をあまりに馬鹿にしている。それは罰すればよい。罰されるべきだ。「判断する術」を教えられず、ただ影響されるだけの人間で、100のうちの1つに混ざった「正しくないこと」をただ受け入れて犯罪を犯すよりは、ずっと"人間的"だと思う。