評価?そりゃ地雷だよ

えー、久しぶりにこんなトンデモなシナリオを見ました。
もっとも、エロゲじゃなくて映画です。以下、『ローレライ』感想・ネタバレありです。
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とりあえず、私の太平洋戦争に対する知識ですが、昔『提督の決断』をやったことがあって(笑)、重巡インディアナポリスとかの話もわかりました。
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ローレライの構造自体は、まあ、どうでもいいんです。
まず、ローレライを米軍に引き渡して東京に原爆を投下する」この意味がまったく理解できません(笑)。
こんな大それた計画を艦長も副長も掌握しないまま進めた朝倉大佐、なかなかのギャンブラーです。この二人、わざわざ旧知の人間を揃えているのがまた謎。
それよか、堂々と横須賀のドッグに収まっていた伊507が不思議です。あれでいて出港は朝倉大佐の独断なんですから、それほどまでに海軍の管理能力は衰えていたのですね(笑)。それより絹見艦長はどんな命令書を受け取ったのでしょうか?
あと、8月15日に高級将校のかなりの数が自刃したことを製作者はわかったるんでしょうか?宇垣纏なんか影響を危惧する周囲の声も聞かずに特攻機に乗って突っ込んでったんですよ?
原爆と水爆は違うんですよ。水爆は東京23区を丸ごと焼き払うことができますが、原爆では本当に破壊できるのはせいぜい1km四方だったはず。東京中心部に落としたって大した意味はないのですよ。だからこそ、米軍は焼夷弾による延焼を狙ったのですし。
ローレライは核の時代の戦略を覆す」みたいなことを誰かが言ってました。弾道ミサイルを搭載した原子力潜水艦の存在を意図して喋っているのなら、これは正しいのです。『沈黙の艦隊』の受け売りですが、潜水艦というのは電波の全く役に立たない水中に潜み、原子力による半無限の航続力を有します。それが、遙か遠くの目標に核を打ち込めるからこそ、冷戦において大きな役割を果たしたのです。それが「ローレライ」によって既存のソナーを遙かに超える索敵能力が発揮されれば、その隠匿性が消失するからです。ですが、1945年夏の日本海軍の軍人がそれを予想できますか?
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米軍の戦略も謎です。初めから密約が成立していたのなら、最初の戦闘は何のためにあったのでしょう?
単縦陣はもっとも基本的な艦列の一つですが、どうして追突するほどの近距離なんでしょう?あれって、軽く1km程度は離れてるんじゃなかったでしたっけ?
太平洋戦争当時の魚雷って、真っ直ぐ進むだけです。深度の調整もできないはずです。現在のように(あくまでの軍事機密ですので噂ですが)プログラムによるセットやソナーによる自動追尾はできません。ですので、魚雷は放射状に発射し、「どれか一つは当てる」のがセオリーです。どれだけ他艦の動きが正確にわかっても、正確に舵に命中させることなんて絶対無理。「やまと」ならまだしも、です。
それに、米軍もジャミングのためのジグザグ走行なんぞ当たり前にこなすはずです。一つの艦が舵をやられて動きが乱れたくらいで次々と衝突するものかよ…。相手は潜水艦一隻なんです、光でも電波でも、いくらでも洋上通信が取れるのですから…。
そして、なぜあそこに味方潜水艦を出動させたのでしょうか?『沈黙の艦隊』の大西洋艦隊のように、誤探知・誤爆を避けるために味方の潜水艦は全て引き上げるのがセオリーのはず。この当時って爆雷戦ですよ?敵も味方も区別されませんよ?ましてや、この時代の魚雷は直進するだけです。深深度への調整もできない魚雷で、敵潜水艦を撃破できるはずがないじゃあありませんか。当時は潜水艦対潜水艦の戦いなんてあり得ません。だからこそ、今の潜水艦には無い、「艦砲」を当時の潜水艦は装備しているのです。魚雷以外の武器は、「浮上して撃つ」しかないんですよ。
だから、米軍は潜水艦を索敵と輸送船団の攻撃目的にしか使っていません。軍艦を攻撃するんなんて愚の骨頂です。一方、米軍よりも性能で上回っていたと言われる日本海軍の潜水艦は果敢に敵艦を攻撃しました。それは空母「ワスプ」や劇中でも述べられた「インディアナポリス」を撃沈したりしましたが、同時にそれを遙かに上回る犠牲を出したのです。それは日本の索敵能力の低下を意味しました。
そんなんだから、艦隊の真っ只中に浮上した敵潜水艦を黙って見ているなんて事態になります(笑)。機銃でも艦砲でもなんでもいいからブチこめよ!
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艦長は言います。「俺は特攻はさせない」と。いやあ…この作戦自体どう見ても「特攻」だよ…。「東京を空爆するB-29の離陸を阻止するために艦砲射撃を行う」ですよ?
まず、テニアンの一飛行場の艦砲射撃に成功したとしても、意義はほとんどありません。山の形を変えると言われる戦艦クラスならともかく、たかだか潜水艦一隻です…。奇跡的に破壊に成功しても、一日二日で飛行場は復旧します。そして、再び、B-29は飛び立つでしょう。なんなら、サイパンから飛び立っても構いません。
実際の日本海軍は、「捷一号作戦」でレイテ湾に戦艦「武蔵」を送り込み、輸送船団を艦砲で破壊するという作戦を立てました。この作戦で、「武蔵」の帰還は想定されていません。同型の史上最大の戦艦「大和」もまた、沖縄戦で「浜辺に乗り上げ、砲台として敵艦艇を可能な限り撃破する」という無謀極まりない作戦の結果、それも果たせずに沈没しています。この両作戦と、今作における作戦とに差を感じません…。これはどう見ても立派な特攻です。
最後に艦砲で離陸後のB-29を撃墜したときは拍手したくなりました。ここまでご都合主義ができれば立派だ、と(もちろん皮肉です)。
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ドストエフスキーの『罪と罰』の解釈も謎。ラスコーリニコフはついに最後自首するまで、自分が殺した高利貸の婆さんを「蚤」と言い続けます。彼は「罪を悔いる」ことは無いんです。彼が敗れたのは「罰への恐怖」に他なりません。そして、犯行前の絶対的自信と犯行後の恐怖との対比に加え、ネブ河へ身を投げることすらできなかった自分の姿を自覚した時、彼は自首を決意します。罪を償うのではなく、ただ、自分を嘲笑うために…というのが、私の『罪と罰』評です。「自分を殺した」というのは、「罰への絶え間ない恐怖」のメタファーであって、それをキリスト教的観点も踏まえてどう見るかはいろいろあるでしょうが、少なくとも、朝倉大佐の場合に当てはまるとは思えません。何が言いたかったんでしょうか?全然わかりません。そもそも現在の岩波文庫版は上中下の3巻です。…脚本家は本当に『罪と罰』を読んだんでしょうか?
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いやあ…トンデモなかったです(笑)。
「実在の歴史」って書くのはすごい大変なんですよ。「人類史の教訓」から目を背けると作品が凄く不真面目に見えますから。「あ、このシチュエーションはドラマに使えるな」って軽い気持ちで使うと、その人の不勉強が凄く形に出ます。
え?『SEVEN-BRIDGE』との比較?この映画に比べたらずっとずっとずっとずっとずっとマシですよ。